「ガマの油」と言うのは、江戸時代に「陣中膏」として売られた薬の名称。
最近、映画でもガマの油と言うのがあったような気が致します?が、本物のガマの油の話をしたい。
ガマの油の由来としては、大坂の陣に徳川勢として従軍した、筑波山・中禅寺の住職・光誉上人の「陣中薬」が、刀傷に効くと評判になったというものだ。
筑波山に伝わる話だと、江戸時代に、新治村に住んでいた永井の兵助が、筑波山の山頂で自らの十倍もある蝦蟇(がま)カエルに諭されて、故郷の「がまの油」を売り出すための口上を工夫して、江戸の浅草寺境内などで披露・販売したのが始まりとされている。
そもそも、筑波山の山頂付近には「ガマの石」と呼ばれる、カエルの形をした奇石があり、その石の前で7日間に渡り、商売で話しをする「口上」を考えたと伝わる。
現在、そのガマの石は、商売繁盛の石としても有名だ。
江戸時代、香具師と呼ばれていた露天商は、このようにして、ガマの油を販売した。
まずは、綱渡りなどの大道芸を行って客寄せをした後「さぁー、さぁー、お立合い」と言い放ち、いよいよ本題に入る。
ガマの油を売る為に、まずは、霊山・筑波山にしか住まない「四六のガマ」と呼ばれる、前足が4本で後足が5本である霊力を持つガマガエルから、たらーり、たらりと「油」を取る方法を面白おかしく語るのだ。
四六のガマは、周囲に鏡を張った箱に入れられると、おのれの醜悪さに驚いて、脂汗を流し、その汗を成分として作った薬が「ガマの油」と言う話である。
そして、ガマの油は万能の傷薬であることを示すため、刀を手に持って、まずは半紙(和紙)を二つ折りにして「一枚が二枚、二枚が四枚、四枚が八枚、八枚が十六枚……」と口上をしながら、紙を小さく切っていくのだ。
そして、小さくなった紙片を紙吹雪のように、パッーと吹き飛ばす。
このように刀の切れ味を示したのだが、この刀は先っちょだけが切れるようになっており、切れない部分を使い、今度は自分の腕を切ったふりをして、腕に「血糊」を線状に塗り、血が出た切り傷のように見せる。
実際に関ヶ原の戦いで使われたと言い、その、ニセ切り傷に「ガマの油」をサッと塗って、拭き取って見せると、たちまち血が消えたように見えるので、観客は驚くのだ。
更に、ガマの油を腕に塗って、そこを改めて刀で切ろうとすると、切れないぞとして、キズ防止効果あることを示すという口上なのだ。
筑波山の筑波山神社などにある「土産物店」で、しばらく「ガマの油」は薬として売られていたが、製造元の山田屋薬局が1998年に倒産。
その時の陣中膏ガマの油の成分は、アドレナリン液、紫根、ホウ酸、酸化亜鉛、ミツロウ、オリーブ油。
オロナインよりも、肌色かかった色で、もっと粘度が高いクリーム状の軟膏であった。
その後、ガマの油を絶やさないためにと、地元の種村製薬が、ワセリン、シコンエキス、スクワラン、尿素、ハッカ油などを成分とした「陣中油」を製造しているが、こちらは赤いゼリー状となっている。
本当の話
私も子供の頃、ガマガエルを捕獲した事があります。
水辺に住むと言うよりは、ヤブ(山や森)に住むカエルでして、大きさは丼(どんぶり)くらいの大きさ、手のひら両手の大きさよりちょっと大きいカエルでした。
※写真は出典元:じゃらんさんからのイメージです。
重さは、1kgくらいはあると思います。
しかし、筑波山以外にも生息しているカエルで「ヒキガエル」と呼ばれます。
沖縄以外でしたら、だいたい日本中どこにもいると思います。
そのヒキガエルの耳下腺・皮脂腺からは、1回に2㎎位の分泌物が出るそうで、それを固めた蟾酥(センソ)からは、近年モルヒネを凌ぐ鎮痛作用が発見されており、実際に局所麻酔作用や止血作用があったものと考えられます。
しかしながら、筑波山の土産物店で売っているガマの油には蟾酥は入っていません。
なお、カエルに鏡を見せても、汗はでません・・。突っついたりして、敵意を感じたりすると、防衛目的で分泌物を出すと言う研究成果もあるようです。
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