神倉神社(南紀)の神秘と歴史に迫る 巨岩・ゴトビキ岩

神倉神社


神倉神社(かみくら-じんじゃ)は、和歌山県新宮市神倉にある神社です。
日本書紀には、神武天皇が神倉に登拝されたことが記されていると言う歴史もあるところです。
熊野三山の一山である熊野速玉大社の摂社になっています。
境内地は国の史跡「熊野三山」の一部として、また世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としても指定を受けました。


神倉神社

新宮の麓から境内に入ります。
ここから先はトイレもありませんので、小川沿いの公衆トイレによっておきましょう。

神倉神社

神倉神社は世界遺産にもなりましたが、参拝するのはちょっと大変です。
下記の鳥居から上に続いている階段、お分かりいただけますでしょうか?
※当サイトではパソコンにて画像をクリックすると拡大します。

神倉神社

神倉神社がある場所は、標高80mの山で断崖絶壁となっており、麓からは鎌倉幕府を開いた源頼朝が寄進したと伝えられる、急勾配の鎌倉積み石段が538段あります。
私は、重たいカメラをクルマに残して、スマホ片手に登りました。

神倉神社の階段

結構、急な階段が続きます。
麓に無料で使える「杖」が置いてありますので、見栄を張らずに、地元の皆様に感謝して素直にお借りしましょう。
なお、途中からは傾斜も緩やかになりますので、最初がキツイと言う感じです。
約10分ほど登りますと、大きな一枚岩の岩盤が見えてきました。

神倉神社

下記の神倉神社・手水鉢は、新宮城主の水野重良が寄進したものです。
よくこんな高所まで、石の桶を運んだものです。

神倉神社・手水鉢

この岩盤は花崗岩でできています。

神倉神社の岩盤

古い時代の日本では道が発達しておらず、無いに等しいですので、南紀・熊野には、古来、沖縄から海を伝った人々がやってきたと考えられます。
その為、後世には熊野水軍などが発達しました。

神倉神社

そんな海に携わる人々を中心に「神」として崇めてきたのが、現在の新宮市の神倉山(かんのくらやま)にある巨岩・ゴトビキ岩です。

ゴトビキ岩

昔は海岸線が山の麓近くであったことと推測でき、海で漁をしたりする際に大変目立つ岩であったことでしょう。このゴトビキとはヒキガエルをあらわす熊野地方の方言です。
その大きな岩が原始的な自然信仰の対象となり、石器時代・縄文時代ほ経て、弥生時代となると、西暦128年には神社の元になる人工物が祭られました。

神倉神社とゴトビキ岩

ゴトビキ岩を御神体とし、高倉下命・天照大神を祭神としています。
そして、日本書紀や古事記にも当然のようにこの神倉神社が登場し、下記のような伝承が記載されています。

神倉神社は、神武天皇が東征の際に登った天磐盾(あめのいわたて)の山です。
このとき、天照大神の子孫の高倉下命は、神武に神剣を奉げ、これを得た神武は、天照大神の遣わした八咫烏(やたがらす)の道案内で軍を進め、熊野・大和を制圧した。

このように神倉神社は日本列島に人間が住み始めた古い時代から信仰の対象であり、熊野神社が出来るより遥か以前からありました。
ちなみに、神倉神社の近くにある熊野速玉大社は神倉神社の伊邪那美神が移ったもので、神倉山にあった元宮に対して熊野速玉大社のことを新宮と呼ぶ事から、新宮市と言う地名にもなっています。
平安時代になると神倉山は神倉聖(かんのくらひじり)と呼ばれる修験者たちの修行場となりました。

下記の写真は新宮城から撮影した神倉山で、山頂より下のあたりにゴトビキ岩があります。
※当サイトでは各写真はパソコンでクリックすると拡大します。

ゴトビキ岩がある場所

そして、ゴトビキ岩がある場所に神社の社殿が建てられたと言う事になります。
下記はその社殿から撮影した新宮市の展望です。
昔はもっと海岸線が近かったことでしょう。

神倉神社からの展望

社殿は、台風などで倒壊することもしばしばで、山上にある現在の社殿は大正時代に再建されたものですが、ゴトビキ岩を支える袈裟岩の周辺には古い経塚が発見されており、祭祀具・仏具などの遺物が多数出土しています。
この経塚よりも下層からは、銅鐸片や滑石製模造品が出土していることから、石器時代から神道的な巨石信仰を伺うことができます。みのゴトビキ岩と袈裟岩は男女の性器そのものと言う人もおります。


御燈祭

毎年2月6日には勇壮な火祭りとして知られ、夜の暗い中、鎌倉積み石段538段を一気に駆け下りる御燈祭(おとうまつり)が行われます。
御燈祭の期間中、神倉山は女人禁制となり写真を撮るだけでも女性は立入禁止。祭りに参加する男性は白装束で荒縄を胴に巻き上り子と呼ばれます。身に付ける衣装はすべて白でなければいけません。
また、朝からご飯や豆腐、かまぼこなど白いものだけを食べると言います。
日が暮れると、祭りに参加する男性約2000人が、熊野速玉大社・阿須賀神社・妙心寺に参拝・祈願し、松明を手に持って神倉神社の山上境内に集合します。
ただし、10代の若者も清めの酒を飲んでいるらしく酔っ払っている者が多いと言います。
まぁ、無礼講と言う事で・・。
神倉神社では神職が火をつけた神事の後、中ノ地蔵堂にその碑が置かれ、上り子は松明に火をつけます。
火を松明につけると今度は麓までの競争が待っているので、山上の玉垣内に入ります。
上り子たちは少しでもスタート地点になる山門近くの良い位置を確保しようと揉みくちゃになります。
満員電車のように体と体の隙間がない揉みくちゃなので、松明は自分の頭上に上げるしかありません。
頭上の松明からこぼれる火の粉が容赦なく上り子たちに降りかかるのです。


スタート直前には少しでも良い位置を確保しようと喧嘩や怒声がおこります。
そして、夜20時になると山門が開かれて、上り子たちは一斉に我さきにと538段の階段を駆け足で麓を目指します。
火の海が流れるようだ、巨大な炎の龍が出現したとも例えられ、勇壮このうえありません。
しかしながら、暗い中、足場が悪い急な階段を駆け下りますので、誰もが途中で転倒します。
そして、ある者は途中で倒れ下まで辿り着けず、毎年、怪我人が出る勇壮な祭りです。
女たちは麓の門口から炎の龍の舞いを眺め、男たちの無事の帰りを待ちます。

この御燈祭は、神倉山に降り立った神を人々が迎えた「神迎え」と、神が山を下りて熊野速玉大社へ鎮座するまでの「再臨」を再現した神事とされています。
570年頃に初めて行われたと言う記録があり、火を神聖なものとする熊野修験道と深くかかわりがあると考えられます。

なお、神倉神社は24時間拝観可能ですが、神職は常駐していないので、御朱印や御札などは熊野速玉大社の社務所で取り扱いしています。
昔は駐車場も無かったのですが、現在は無料駐車場も整備されました。
当方のオリジナル関西地図にてわかるようにしてあります。
ただ、駐車場付近は、道が狭いので、遠回りでも、できる限り広い道を通行したほうが良いです。

夏場は、熱中症対策で、飲み物を手に持って登って頂けますと幸いです。

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