信玄堤とは 釜無川の洪水を防止した武田信玄による戦国時代の堤防





急流で知られる「富士川」ですが、甲府盆地を流れている間は、川の名前が違っていまして「釜無川」と呼ばれます。
相模川の上流が「桂川」と違う名前で呼ばれるのと同じですね。
八ヶ岳の方から注ぐ釜無川は、甲府盆地に差し掛かると流れがいくらか緩やかになります。
そして、笛吹川と合流してから富士川となって静岡に流れるのですが、その合流する手前までは大雨で洪水が度々発生していました。


特に、釜無川が甲府盆地に入って、若干向きを変える竜王の辺りでは、特に洪水が起きやすかったようです。
何しろ、地名に「竜」がついて、尚且つ「王」ですからね。
地図を見ると、南アルプスから急流の「御勅使川」が「釜無川」に合流する地点ですので、特にここの水害がひどかったのでしょう。

そのため、武田信玄は20年以上に渡り堤防工事を行い、川の流れを制御して洪水を緩和しました。
なお、堤防工事は、江戸時代に入ってからも甲府藩が行っています。

戦国時代の武田家が考案した川の流れを変える方法は下記の写真の「聖牛」です。
※各写真はクリックすると拡大します

聖牛

聖牛は「大聖牛」「中聖牛」「聖牛」と3つの大きさがあったようでして、現在、信玄堤にて展示されているのは「中聖牛」だそうです。
この聖牛を川岸に築く事によって、そのうち砂利や土砂が貯まり、川の向きを変える事ができたのでしょう。重機やダンプカーなどが無い時代ですからね、考えましたね。

信玄堤

無料の駐車場とトイレが完備されています。
信玄堤への交通アクセス・行き方は、下記のポイント地点が駐車場入口です。
ただ、私は平日の午後に訪れたのですが満車でした。
仕事の移動中などで休憩しているドライバーさんが多かったようです。


見学所要時間は5分からで、あとは散策する時間次第です。
国道20号からもほど近いですので、トイレ休憩がてらどうぞ。 
 

御勅使川「桝形堤防」国史跡 取水口を水害から守る工夫
関東周辺の史跡巡りに便利な地図

高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査・研究している歴史人物研究家です。
自慢できるものはありませんが、資格は史跡訪問のための国内旅行地理検定2級、水軍研究のための小型船舶操縦士1級など。

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