上田藩主居館跡と上田藩主居館表門





 真田の里紀行、現在の上田城から、ちょっと東に行ったところに、上田高校があるが、その地はかつて上田藩主の居館であった。

 関ヶ原の戦いのあと、よっぽど恨んだのか、徳川家は上田城の外堀などを徹底的に破却する。

 そして、上田城を与えられた真田信之が、居館を構えた場所が三の丸、現在の上田高校なのだ。
 1622年まで、ここで政務を行った。

 上田藩主居館跡

 その後、上田藩主となる仙石氏や松平氏と、代々上田藩主の住まいとなり、藩主邸は移転もせず明治維新までここであった。

 上田藩主居館の表門

 現在、上田高校の東側に水堀と上田藩主居館表門が残っている。

 上田藩主居館

 特に濠と土塁は真田家のときのものであるとと考えられている。
 ただし、水際に見られる石垣は最近のものとの事。

 上田藩主居館の水堀

 なお、表門は1789年に1度焼失したとの事で、そのあとの再建された薬医門である。



 行き方・アクセス・場所だが、下記の地図ポイント地点となる。
 駐車場は付近にないので、上田市役所を拝借願いたい。

 

 その他、真田の里を観光する際の旅行計画にどうぞ。
 → 真田の里紀行はこちら

高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査・研究している歴史人物研究家です。
自慢できるものはありませんが、資格は史跡訪問のための国内旅行地理検定2級、水軍研究のための小型船舶操縦士1級など。

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