木曽義仲産湯の清水 鎌形八幡神社(埼玉県嵐山町) 小枝御前と山吹御前も

木曽義仲産湯の清水

鎌形八幡神社

埼玉県嵐山町鎌形にある鎌形八幡神社(かまがたはちまんじんじゃ)は平安時代初期に、笛吹峠を越えてこの大蔵に入った、征夷大将軍・坂上田村麻呂が創建したと伝わり、源氏の氏神として仰がれてきました。
源義賢が大蔵館主・秩父重隆の娘と考えられる小枝御前と結婚した際に、この鎌形八幡神社がある場所に下屋敷を設けたと言います。

鎌形八幡神社

そして、小枝御前(さえごぜん)が1154年に産んだ子が、のちの木曽義仲と言う事になります。
その木曽義仲産湯の清水と呼ばれる湧水は、今でもこんこんと湧いていますが、鎌形には七ケ所涌水「七清水」があり、その一つと言う事になります。

木曽義仲の産湯

付近には高い山はありませんので、かなり貴重な湧水と言えるでしょう。
現在は、神社の手洗い水として活用されているほか、脇の池にも注がれています。

木曽義仲産湯の清水

念のため記載致しますが、木曾義仲の父は、最初、上野国多胡郡に入ったため、木曽義仲は多胡で生まれたとする説もあります。


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なお、近くに班溪寺がありますが、山吹姫(妙虎大姉)が木曽義仲と子の源義高の供養のために開いた寺とも言われているようです。

班溪寺

木曽義仲の妻とされる山吹姫の墓があります。

山吹姫の墓

この山吹御前(やまぶきごぜん)は、源義仲(木曽義仲)の便女と言う記述がみられます。
便女と言うのは「便利な女」と言う意味で、身の回りの世話などをしていた下女と言うことになるかと存じます。
巴御前と同じ、中原兼遠の一族、または金刺盛澄の一族ともされますが、巴御前と共に信濃から京へと付き添うも、病気になり、木曽義仲が敗北していた頃には、病で動けなかったともあります。

交通アクセス

鎌形八幡神社へのアクセスですが、境内に数台の駐車スペースはありますので、拝借させて頂きました。
電車の場合、武蔵嵐山駅から「せせらぎバスセンター行」ときがわ町バス(内回り)に乗車して、鎌形バス停にて下車し、徒歩で400mとなります。
場所は当方のオリジナル関東地図でもわかるようにしてありまので、。ご参考賜りますと幸いです。

なお、戦国時代の初期には、やはり武蔵で活躍した太田道灌にまつわる女性の話とし、この嵐山付近でも「山吹伝説」がありますが、山吹姫からヒントを得た話だったのかも知れませんね。


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2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」では、この鎌形八幡神社がロケ地になっており、渋沢栄一と千代のシーンで、度々登場しました。

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