キリシタン大名でもある小西行長の母とされる女性の名はワクサで、洗礼名はマグダレーナ、マグダレナ。
小西行長は、元々岡山の商家に養子で入ったと言う堺出身の商人の子で、商売で何度か宇喜多直家を訪ねていたところ、才覚を見出されて、宇喜多直家の家臣となった。
その後、羽柴秀吉が三木城攻めをしていた際に、宇喜多直家の使者として羽柴秀吉に使われると、羽柴秀吉に気に入られて直臣となった優秀な武将で、豊臣家の元では舟奉行として水軍を率いた。
恐らくは、商人時代に船の航海技術なども学んでいたのであろう。
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小西ワクサは、豊臣秀吉の正室・おねの侍女として仕え、大阪城ではおねの右腕として、豊臣秀吉の側室などを取り仕切っていたと言われるが詳細は不明。
小西行長の父・小西隆佐は、堺の豪商であったが、1585年から羽柴秀吉に仕えている為、小西ワクサもこの時期におね(北政所)に仕えたのではと推測できる。
・小西行長~頭脳派として豊臣秀吉の交渉人を務めた武将
・明泉寺にある小西行長の墓?~垂井・岩手の竹中家ゆかりのお寺
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