5分でわかる空海の生涯~真言宗の弘法大師

空海(弘法大師)

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空海弘法大師)は、宝亀5年(774年)に讃岐の多度郡屏風浦(香川県善通寺市)で生まれました。幼名は真魚です。
父は郡司の佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は玉依御前(阿古屋御前、阿刀大足の娘、または阿刀大足の妹)です。

空海(真魚)には、兄・佐伯鈴伎麻呂がいます。
そのため、次男である空海は、中央の官僚にするべく、母の実家である阿刀氏の一族・阿刀大足を頼って、788年に京に上ります。

阿刀大足(あとの-おおたり)は学者で、桓武天皇の皇子・伊予親王の侍読(家庭教師)として活躍しており、空海(くうかい)は平城京とも長岡京とも云われる京に入りました。

そして、789年、15歳のときから阿刀大足より、論語、孝経、史伝、文章などを学びます。

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18歳(792年)になると、阿刀大足の尽力によって、大学寮明経科に入学しました。
大学では明経道を専攻し、春秋左氏伝、毛詩、尚書などを学んだと言われています。
このようにエリート官僚になるべく勉強をしていた空海(弘法大師)ですが、793年からは、吉野の金峰山や四国の石鎚山などで山岳修行も開始していますので、その過程で高野山付近も訪れたようです。

父・佐伯田公は、仏教にのめりこんでいく空海に対して、当然怒ったようで、空海は24歳の頃「三教指帰」(さんごうしき)と言う書物を執筆して、事実上の出家を宣言しました。
空海自筆とされる書物が、高野山の金剛峯寺に伝わっており国宝に指定されています。

こうして仏教の修行を熱心に行った空海は、804年(延暦23年)31歳のときに、遣唐大使・藤原葛野麻呂(ふじわらのかどのまろ)の遣唐使船に留学僧として乗船する機会を得ました。
最澄や橘逸勢(たちばなのはやなり)らと、途中、暴風雨にあいながらも、九死に一生を得て入唐(にっとう)します。
804年12月には、長安に到着すると、長安醴泉寺(れいせんじ)にて般若三蔵(はんにゃさんぞう)らより、サンスクリット(梵語、ぼんご)やインドの学問を学びました。

そして、密教の第七祖・恵果(けいか)より唐長安青龍寺にて半年間、密教の伝授を受けます。
過酷な修行をすでに十分積んでいたと空海は評価され、恵果和尚が60歳で入寂すると、空海が「真言密教」の第八祖を継ぎました。
当初の留学予定は20年だったところを、僅か1年ほどで土木技術や薬学も学び、806年8月に、遣唐使判官の高階遠成の帰国に便乗する形で日本へ帰国の途につきました。
こうして、膨大な密教の典籍、仏像、法典、曼荼羅(まんだら)、その他の最新の文化を日本にもたらし「請来目録」と言う持ち帰ったものを朝廷に提出しています。

20年のところを2年で戻ったため、大宰府の観世音寺に滞在していた空海ですが、罪が許されると、809年に京都・高雄の神護寺に入り、翌810年、嵯峨天皇のために国家を鎮める大祈祷を実施しました。
嵯峨天皇はこのように密教を理解したことから、宮廷の人々に密教呪術の効用が認識され、真言宗が重んじられるようになります。

812年(弘仁3年)には比叡山(ひえいざん)の最澄(さいちょう)や弟子らに灌頂(かんじょう)と言う、水を頭に注いで仏位につかせる儀式を行いました。

816年6月、43歳のとき、国家のため修行者の道場として高野山を開きたいと嵯峨天皇に上奏するとよるされて、819年5月から金剛峰寺などの伽藍建立を開始しています。

また、農民のためにため池を作るなど、さまざまな社会福祉事業も手がけました。

そして、823年には東寺を天皇より与えられたため、以後、高野山と東寺を中心とした宗教活動を行ない、真言密教の後継者育成に努めました。

828年(天長5年)には、東寺の東側に、日本最初の庶民教育の学校「綜芸種智院」(しゅげいしゅちいん)を開設しています。

835年(承和2年)1月、宮中真言院で後七日御修法(ごしちにちみしゅほう)を行うと、3月21日に高野山にて入滅しました。齢62歳。


のち921年(延喜21年)に、醍醐天皇から弘法大師(こうぼうだいし)の諡号が贈られています。

真言宗においては、高野山奥の院の霊廟にて、現在も空海が禅定を続けているとされています。

このように真言宗の開祖となった空海(弘法大師)ですが、のち、皇族・摂関家・公家の多くも高野山へ支援を行います。
その結果、鎌倉武士や戦国初期の武将の多くも真言宗を信仰し、現代でも、真言のお寺は格式が高いとされています。

2018年2月24日には、空海-KU-KAI-美しき王妃の謎と言う映画も公開され、俳優の染谷将太さんが中国に渡った空海を演じます。

高野山や讃岐の善通寺も下記にてご紹介致しておりますので、よければ、合わせてご覧頂けますと幸いです。

善通寺~弘法大師(空海)の誕生地にある総本山善通寺
金剛峯寺と高野山の歴史~大門・壇上伽藍・金堂【世界遺産】
阿倍仲麻呂~唐の高級官僚になった遣唐使

 

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