新宿~魅惑の歓楽街「新宿の歴史と成り立ち」高松喜六と玉川兄弟も

内藤新宿

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新宿の成り立ち

新宿の歴史は、天正19年(1591年)にまでさかのぼる。
徳川入府が天正18年なので、その当時から原型はできていた事になる。
三河時代から家康の小姓をつとめていた内藤清成は、家康入府に先立ち鉄砲隊を率いて江戸の警護をつとめた功績を認められ、現在の新宿御苑付近に屋敷を拝領した。
これが現在の新宿の原型である。
元々内藤家は、3万石あまりの大名だったこともあって、元禄年間幕府は宿場整備にあたり屋敷の一部返還を求めている。そこにできたのが内藤新宿である。
それまでは、甲州街道の最初の宿場が高井戸だったのだが、間に内藤新宿が置かれた事により旅人の利便性も上がったものと思われる。
新宿は読んで字のごとく「新しい宿場」だから新宿と呼ばれたのである。


高松喜六

さて、高松喜六(たかまつ-きろく)という人物をご存知だろうか。
浅草阿部川町の名主で幕府に内藤新宿の開設を願い出て、上納金5600両をわざわざ納め開設に尽力した人である。
当時の新宿は、現在とは違い閑散としていたし上納金を納めてまで開発しようというのは、相当なエネルギーを要するし何らかの見返りがあったにせよ、やはり先見性はあったのだろうか。
愛染院には、その高松喜六の墓所が新宿区指定史跡として残されている。
興味のある方は是非ご覧になっていただきたい。(新宿区若葉2-8-3)

玉川兄弟

宿場が整備されるとその結果、文化、経済、物流などに循環が生まれるが、そのほか江戸に住む人々の生活に欠かせないものも整備される。水道である。
幕府は、江戸人口増加にともない既存の神田上水だけで市中の水道をまかなうことは難しいと判断し、多摩川の水を市中に引き込む計画を立てる。
承応元年(1652年)の頃だ。
神田上水が寛永年間出来上がっているので、その頃の江戸の急速な発展がうかがえる。
そんな幕府の悲願に登場したのが、兄庄右衛門、弟清右衛門の玉川兄弟である。
この兄弟は農民だったとのことで(諸説ある)工事に関わった経緯などはあまりよくわかっていないのだが、羽村から四谷までの40km以上の道のりを失敗を繰り返しながら、8ヶ月で終わらせている。
四谷からは木樋、石樋で市中に配水されていった。
四谷大木戸跡で新宿区四谷区民センターの新宿通りに面した所に水道碑記が立っている。
兄弟は玉川という姓を与えられた。
聖徳寺には、玉川兄弟の墓所がある。(台東区松が谷2-3-3)


宿場ゆえの悲しき事情

また、江戸の宿場という特性上、岡場所といわれる遊郭があり、客の飲食の接客をするという名目で飯盛女という遊女を置いていた。
貧しい所から売られて来た彼女たちは「子供」と呼ばれた。
病にかかって放っておかれたり、そのまま亡くなっていった飯盛女も大勢いたそうだ。
幕府公認の吉原とは違い、宿場の遊女は非公認だが、半分は黙認されていて、なんだか今とあまり変わらない。
成覚寺は、内藤新宿の飯盛女たちを無縁仏として投げ込んでいた寺で、子供合埋碑(こどもごうまいひ)といわれる供養塔がある。彼女たちの境遇を思い、手を合わせに行ってみるのもいいかもしれない。(新宿区新宿2-15-18)
江戸の世も、現代の世も魅惑の街新宿である。

(寄稿)浅原

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