さて、早朝から滝山城、八王子城と訪問したこの日、3件目として津久井城にやって参りました。
津久井城は、小田原城の北条氏に取って、相模国の防衛上、甲斐の武田信玄侵攻に備える重要防衛地点です。
そんな武田家も滅び、豊臣秀吉の小田原攻めが始まると、津久井城には徳川勢の本多忠勝、平岩親吉、戸田忠次、鳥居元忠、松平康貞らは11000~12000が押し寄せ、津久井城を包囲しました。
この時、津久井城も例外なく、主力は小田原城での籠城に加わっていた為、津久井城を守る兵はわずか150騎。農民の徴用・雑兵も含めると全体で約500名程度と推測できます。
1590年6月23日に八王子城が皆殺しに合い落城すると、既に八王子城落城の知らせが届いたと考えられ、八王子城が落城した2日後である6月25日に攻撃を受けた際に、津久井城はほとんど戦わずに開城しました。
津久井城は城山に築かれた山城で、南北に根小屋が残っており「根小屋式城郭」の端緒・典型として有名です。
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現在は、神奈川県立津久井湖城山公園となっており、城全域にハイキングコースが整備されており、スニーカーでもOKの大変登城しやすい山城でもあります。
上記の写真は、城主・内藤氏の墓がある功雲寺(こううんじ)から津久井城の山城の展望。
津久井城は標高375mで、比高180m。八王子城より比高も低いのですが、津久井城は八王子城より登るのには体力を必要とします。とは言え、八王子城よりはコンパクトですので、見学所要時間は1時間30分といったところで、気軽に登れる山城です。
駐車場は、津久井湖城山公園の根小屋地区(根本)に無料駐車場(8:00~19:00)が、津久井城に登るのには便利です。圏央道・相模原IC(2015年開通)から、車で10分位の距離です。
電車・バスの場合、JR横浜線・相模線・京王電鉄の橋本駅北口から、神奈中バスの三ケ木行(橋01系統)で「津久井湖観光センター前」下車。利用者の多い路線なのでバスの本数は多いです。
私のいつもの山城装備もご参照下さいませ。
山城は平地が狭いため、城主の館や家臣の屋敷などを山麓に置きました。これを「根小屋」と呼び、山麓に根小屋を備えた山城のことを根小屋式山城と言いますが、津久井城はそのお手本のような典型的な寝小屋式山城で、関東でも屈指です。
上記はその根小屋地区の公園入口(駐車場付近)から津久井城を見た写真です。
津久井城はこんな感じになっています。
国道413号沿い(津久井沿い)にも無料駐車場はありますが、パークセンター(津久井城の資料館)がある「根小屋」の駐車場に止めるのが最適です。
行き方・アクセスですが、下記の地図ポイント地点が、無料駐車場の場所です。
根小屋のパークセンター(入館無料)は、江戸時代に陣屋があった場所です。津久井城に関する展示もあり、上記の模型の他、甲冑・鉄砲・長槍などに実際に触って体験できる展示もあります。
パークセンターには津久井城の散策マップがありますので、必ず手に入れてから登ってください。
まずは、パークセンターから橋を渡って、斜めの道を登りはじめ「御屋敷跡」に行きます。
城主・内藤氏の館があったものと推定されていますが、内藤氏が発給した古文書が津久井には1枚も現存していない事もあり、よくわかっていません。
津久井城の本丸(頂上)部分に行くには、緩やかな坂ですが細くて、グルッと一周するような「女坂」と、ほぼ真っ直ぐに直線的に登って行く「男坂」(車坂)があります。
男坂は敵が攻め上って来ても、高所から槍や弓・鉄砲で撃退するのが容易で、津久井城には他にも竪堀が多数あります。女坂は人が1人歩ける道で細く、こちらも大人数の移動が難しく防御面でも考えられた造りになっています。
女坂はヒザへの負担を考えて下山時にいつも利用しているので、登りは男坂ですが、正直、息が切れます。
写真、すいません。左上に指が入っていました・・。
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津久井城の男坂を登れば約20分で頂上部に到達できますが、勾配は八王子城などよりもキツイので、登山用の「トレッキング・ストック」があれば、転倒防止にもなりますし、特に下る際に足の踏ん張りを大きく軽減してくれるので、個人的にはお勧めです。
男坂をずっと登って行くと、さすがに山頂部分は急峻なので、道は斜めにそれます。
以降は「第2章」にて、いよいよ山頂の郭部分をご紹介致します。
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