真田信勝~(真田昌幸の3男)~幕府旗本になるも逐電した?





真田信勝(さなだのぶかつ)は、真田昌幸の3男(4男)とも。生年も不明。通称は真田左馬助。
母の名は某氏とあり不詳だが、兄・真田信之真田幸村とは母が異なり、年齢もかなり離れていたとされている。

江戸幕府が開かれると、弟・真田昌親と同じように徳川家の旗本となったようだ。

正室は徳川家の古い家臣である牧野康成(牧野半右衛門)の娘だが、この娘はその後、斉藤久右衛門信秋室の継室として名が見られる事から真田信勝とは離縁した可能性がある。

1605年2月、徳川秀忠の上洛に従って同行した際には、真田信勝が大番組として供奉したことが伺える。



1609年9月、大番頭として徳川秀忠に随行していた膳所城主(旗本)・戸田勝興(戸田半之丞)を、江戸で斬って逐電したとも伝わり、真田勝興と刃傷に及んで斬殺されたとも言われているが、詳細は不明。
いすれにしても、その後の消息がわかっていない。

真田昌親~九度山に生活費を届けた真田昌幸の4男
膳所城 江戸幕府による天下普請第1号の城跡
真田幸村とは

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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査・研究している歴史人物研究家です。
自慢できるものはありませんが、資格は史跡訪問のための国内旅行地理検定2級、水軍研究のための小型船舶操縦士1級など。

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