源為朝上陸記念碑・百按司墓・大北墓~沖縄・運天港のマイナー観光スポット

運天港

スポンサーリンク
スポンサーリンク

沖縄本島北部の運天港(うんてんこう)は、平安時代末期の武将・源為朝が、伊豆大島から逃れてきたときに、暴風雨に遭い「運を天に任せる」と、辿り着いた港だとされています。
運を天に任せたと言う事から地名の由来でもあるとか、ないとか・・。

最も、奄美大島方面から島伝いに航海した際には、この運天港に入港するのが通例で、1609年に薩摩藩が沖縄に上陸したのも、この運天港でした。
それ以降、薩摩との航路として使われた他、太平洋戦争の際には、旧日本海軍の特殊潜航艇基地にもなっています。

特殊潜航艇基地・甲標的隊としては、 大河艇(甲標的丁型・甲竜・209号)、唐司艇(210号)、酒井艇(208号)の3隻。
他には、鶴田伝大尉(5期艇長)の率いた甲標的(丙型)が8隻移動してきたと言います。

 スポンサーリンク


昭和19年10月10日に、アメリカ海軍機動部隊の艦載機による攻撃を受けます。
TBFグラマン型艦爆約20機、TBFグラマン型艦爆約40機など、3波の攻撃を受けて、地上施設は壊滅。
標的の半分を失いました。

また、付近の港にいた魚雷艇も半数以上が被害を受けたと言います。

そんな沖縄戦にも決して無縁ではない、のどかな運天には、琉球王国を代表するとも言える3つの史跡が隣接しています。

源為朝上陸記念碑

上記でも触れた源為朝がここに上陸したと言う伝承に基づき、運天港を見下ろす丘の上に源為朝上陸記念碑が建立されています。

源為朝上陸記念碑

源為朝上陸記念碑がある場所の近くには、駐車スペースがあります。
少しわかりにくい、寂しいところです。
当方のオリジナル・沖縄地図にて、ピンポイントでその場所を示していますので、ご参考頂けますと幸いです。

駐車スペースから海側を向いて、右手へと横に伸びている道を進むと、ちょっと先に源為朝上陸記念碑があります。
書は東郷平八郎によるもので、展望と歴史散歩の両方が楽しめます。

運天港

左手には、立派な階段がありますが、登る階段は史跡とは関係ないようです。

百按司墓へは、その駐車スペースから、港の方向に下がっていく、ウケメービラと呼ばれる坂道・階段の先(途中)にあります。

百按司墓

上記でご紹介した駐車スペースから下がっていく感じで、その道の途中から散策路を外れて、横に伸びていく細い道があります。
山の斜面を落ちるのでは&ハブ大丈夫かな?と、不安な一人しか歩けないような細い道を、ちょっと進んだ先、崖の中腹にあるのが百按司墓です。

百按司墓

百按司墓(むむじゃなばか)は、その名のとおり、ひとりではなく多くの按司(領主)が葬られている墓だと考えられています。

百按司墓

右側から第1号墓所、第2号墓所、第3号墓所、第4号墓所、第5号墓所と合計5つあります。
おびただしい数の骨があるため、ひとつの墓に複数名が眠っていることが十分考えられます。

百按司墓

文献では、中山世譜(1650年頃)に、監守貴族の墓ともあります。
また、今帰仁城下にあった墓を改葬したとも伝わる事から、中山の按司巴志(尚巴志)の墓とも推測できます。

百按司墓

沖縄最古とされる、漆を塗った跡がある木棺も見つかっていますが、誰が葬られているかは、謎につつまれたままで、解明できていません。

百按司墓

墓室の中を撮影なさっている猛者もおられますが、私にはそこまでの勇気はありません。
しかし、丁重にお参りさせて頂きました。

大北墓

運天港に出て、港の道を北端まで行ったところにあるのが、大北墓(うーにしばか)で、別名は按司墓です。
写真の通り、海岸脇の絶壁に穴が掘られています。

大北墓

第一監守の後の第二監守の一族を葬ったのが大北墓と言う事らしいです。
すなわち、北山監守として今帰仁城主を代々務めた琉球王族・具志川御殿(元の今帰仁御殿)の一族の墓と言う事になります。

このように、第二監守時代の監守(今帰仁按司・今帰仁総地頭職)を勤めた按司と一族が眠っています。
また、三十三君職のひとつとなる阿応理屋恵按司を勤めた3人も葬られているとされます。

以上、大北墓も含めて、場所はオリジナル・Googleマップでご確認頂けるようにしてあります。

今帰仁城とセットでどうぞ。

今帰仁城の歴史と沖縄最大級の規模を誇る今帰仁城の必見ポイント
首里城とは~尚思紹王と尚巴志王【沖縄の世界遺産】守礼門 グスクとは?
中城城と護佐丸盛春とは~護佐丸・阿麻和利の乱と王女・百度踏揚【世界遺産】
勝連城と阿麻和利とは~鬼大城や展望も素晴らしい勝連城の見どころ
安慶名城の安慶名大川按司と知花城の越来賢雄(鬼大城の墓)
座喜味城の歴史とみどころ【世界遺産】動画紹介もあります
浦添城と舜天とは~浦添ようどれ 源為朝が沖縄に逃れたと言う伝承や察度も
アマミチューの墓~沖縄の祖となったアマミキヨ(アマミク)とシルミチュー【浜比嘉島】
旧海軍司令部壕を訪ねて~大田実海軍中将の思いと沖縄戦
沖縄の史跡巡り観光オリジナルGoogleマップ(便利な地図)

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!

スポンサーリンク


関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

 スポンサーリンク

気になる戦国女性

  1. 淀殿(よどどの)は1569年に近江・小谷城にて誕生した。父は浅井長政で、母は織田信長の妹・お市の…
  2. 常高院(じょうこういん)・浅井初(お初、於初)は、1570年に小谷城にて生まれた。父は小谷城主・…
  3.  淀殿をご紹介する記事では、できる限り中立的な立場にて記載したつもりですが、父・浅井長政や、母・お市…

人気の戦国武将

  1.  天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん)は、1582年6月、織田信長の死後、空白地帯となった甲斐・信…
  2. 長篠城を包囲した武田勝頼に対して、徳川家康・織田信長が38000の援軍を派遣すると、武田勝頼が120…
  3. 遠藤直経(えんどう-なおつね)は、近江の須川城主・遠藤主膳の子として1531年に生まれました。通称は…
 スポンサーリンク
当サイトでは
Android app on Google Play
↑ アプリ版もあります

戦国グッズ通販

実際に鉄板も使用した本物志向「高級」甲冑型の携帯ストラップ
甲冑型ストラップ

甲冑型ストラップ

戦国武将「Tシャツ」や「スウェット」その他もあり。
戦国武将シャツ

戦国浪漫「戦国グッズ」通販

メールでお知らせ

新規記事追加をメールで受信

ページ上部へ戻る