呂宋助左衛門とは~ルソン壺を豊臣秀吉に献上した納屋助左衛門


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呂宋助左衛門(るそん-すけざえもん)は戦国時代に大阪・堺の貿易商・納屋才助の子として1565年に生まれた。
本名は、納屋助左衛門(なや-すけざえもん)と言い、他にも菜屋助左衛門、魚屋助左衛門(ちや)と記載されている場合もある。

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1594年にスペインが征服していたルソン島(フィリピン)に渡り1594年7月に帰国するなど、国際貿易を行うと巨万の富を得たとされている。
1594年7月20日には、豊臣秀吉に対して、生きた麝香獣2匹、ルソン壺(呂宋壺)50個、麝香、真壺、唐傘、香料などを献上したことが記録に残っている。
この時は、大阪城・西ノ丸にある大広間に並べると、値段を付けて、希望する諸大名に分け与えたとされ、これにより呂宋助左衛門の名が広く知られる事となった。

しかし、あまりにも豪勢な生活ぶりは、天下人・豊臣秀吉の権威をないがしろにしているとして、石田三成らの進言により、屋敷や財産没収処分となった。
たたじ、事前に察していたようで、贅沢な邸宅や財産を菩提寺・大安寺に寄進したのち、ルソンへ脱出し日本人街で暮らしたと言う。

別の説では、献上したルソン壺が、現地人の便器だと発覚したことから豊臣秀吉の怒りをかったとも言われている。

1607年、スペインがカンボジアに介入すると、呂宋助左衛門はカンボジア(柬埔寨国)に渡り、カンボジア国王の信任を得て日本から訪れる商人の「元締め」となり、現地でも豪商として腕を鳴らしたとされている。
なお、当時のプリンペンなどには約400名の日本人が暮らしていたとあり「黄金の日日」においては呂宋助左衛門は6隻の貿易船を運用し、税関長も務めたとされている。
没年は不明だが、大安寺に呂宋助左衛門の墓とされるものがある。

なお、ルソン壺は叩き壊されたようだが、ひとつだけ堺の大安寺に残っている。

2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」では、38年前に「黄金の日々」にて呂宋助左衛門(主役)を演じた歌舞伎俳優・松本幸四郎さんが、再び同じ役を再演する。

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