信長の野望「創造」の伊達家は、難易度としての評価は中くらいなようですが、伊達家で開始して、惣無事令を使わずに、天下統一する事にチャレンジしてみました。
開始年は1582年1月「夢幻の如く」(初級)です。
開始早々に、戦国伝が始まりますので、戦国伝通りに進める事と致します。
伊達家の戦国伝は、別ページにて詳しく解説致しておりますので、ここでは序盤の経過は省かせて頂きます。
東北は、財政的に厳しいです。最初の10年は常に財政難でした。
また、北条家や上杉家がどんどん力をつけて、東北にも浸食して来ますので、外交の「工作」にて両家にアプローチも平行して行いました。
運よく、北条家とは同盟を結べて、その後、婚姻同盟まで発展させましたが、上杉家の方は信用度が60以上に上がると、攻め込まれる事、2回も発生し、結局、上杉家とは同盟できませんでした。
当方の弱小勢力からと言うよりは、蘆名家・佐竹家と言った、同盟した北条家と接する敵から攻略し、その後、北上作戦を取り、蝦夷まで制覇して庄内地方にも進出。
奥羽を制覇し、北に敵がいなくなれば、あとは気をラクに勧められます。
関東攻めの準備を行って、準備万端のところで、全力で関東の北条家を攻めました。
その途中、弱ってきた上杉家は北条家に飲まれてしまいました。
関東を攻略した時点で一度、全軍を引き上げて、再び兵力の回復を待って、残りの北条家の城を攻めます。
関東は収入・人口共に多いので、関東を手に入れてから、北条家を滅ぼすのには、そんなに時間は掛かりませんでした。
この関東制覇まで、14年要しましたが、資金も潤沢になったので、関東にも支城をたくさん作りました。
政策は1000になったので、楽市楽座の他、兵農分離も実施。
次に、徳川家が残り3城と弱っていたので、攻略開始。
しかし、徳川家は豊臣家と同盟を結んでいたようで、豊臣秀吉勢の大軍が後詰して来ました。
九州はとっくに島津家が統一しており、更に中国地方と、四国も島津が支配しています。中央は豊臣家ですが、これも巨大な勢力に発展し、北陸の柴田家と清洲織田家・徳川家は風前の灯火です。
よって、徳川家攻略と柴田家攻略は、豊臣秀吉に先を越されないよう、急がなくてはなりません。
そして、本城30城制覇。この時点で、兵数・人口・石高・武将数ともに、全国1位に躍り出ていました。
スタートして17年になり、ようやく徳川家康、柴田勝家を滅ぼして、次のいよいよ豊臣秀吉が相手で、残る大名は、島津家・豊臣家、そして私の伊達家の3つとなりました。
島津と接しないうちに、工作で信頼度を上げて、取りあえず島津家とは同盟もしておきました。
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ほどなく、コンピューター任せの軍団にて、清須織田家を滅亡させて、尾張平野を平定。徐々に豊臣秀吉の領地を侵攻して行きます。
東海道方面の多くの自軍の城を、コンピューター担当にする為、北陸の七尾城を本拠にして、直轄地域を抑えてみました。
これで、最大で20部隊以上で、自動で観音寺城など畿内方面に攻めてくれました。コンピューター軍団は、要所に支城も勝手に築城してくれるので、これも助かります。
この頃には豊臣家も、西から島津家の猛攻も受けており、四面楚歌と言って良いでしょう。
しかし、豊臣家最後の城を島津に落とされては、捕虜の武将の大半が島津で雇用されてしまうので、豊臣家で北陸にあった勝山城1つをあえて攻めずに残しておくことに致しました。
直轄の範囲ですし、軍団に目標指示を出していれば、コンピューター部隊が勝手に攻める可能性も低くなりますので、恐らく残ると考えてのことです。結果的にはうまく行きました。(下記写真参照)
コンピューター部隊が二条御所も落としてくれて、征夷大将軍の戦国伝も達成致しました。ここまで19年の歳月です。
しかし、今回は武力のみで全国制覇する予定ですので、惣無事令は使わないで進めます。
残すは島津家です。
この時点で、島津家の兵数は92万、当方の伊達家は107万。兵数は互角と言えますが、常備兵は島津16万の対して、伊達家は兵農分離も実施しているので常備兵45万と圧倒的です。
ただ、全軍を自分で(マニュアル操作で)動かすのは、もう疲れました。
政策の費用は現在毎月14000の支出ですが、有能な武将を前線に送り、コンピューター軍団で進軍してもらう事にして、戦いを進めてみます。
同盟を破棄すると、コンピューター軍団は、自動的に中国地方と四国へと同時に侵攻開始。
島津家に1つも自軍の城を奪われることなく、快進撃してまずは四国を統一。その後、九州・中津城へ上陸しつつ、中国地方も統一。
途中、当主・島津義久を捕えましたが、もちろん解放。その他の島津家の武将を捕えても、誰1人、処断する必要もなく、進軍することができました。
九州は、北から占領して行ってくれました。
隈本城が陥落した頃には、最後に残る島津家の城が、どこに?なるのか、気になってきました。
結果的に、最後に残った城は最南端の「肝付城」でした。
最後の島津家兵力は379人。本当の戦争でしたら、とっくに降参ですね。
そして、その時は来ました。1609年8月、足かけ27年、まぁ、なんとか史実の大阪の陣より前には終える事ができました。
ちなみに、最後の肝付城を落としたのは直江兼続でした。
本城76、支城262、鉱山30、港173、武将802、武力による天下統一達成です。
でも、この武力による天下統一でも、史実武将全員の獲得はまだ83%です。そっか、早く死亡したり、討死した武将までは獲得できていないようです。こちらは、まだまだチャレンジが必要なようです。
以上、ご高覧賜りまして誠にありがとうございました。
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