朝比奈親徳(あさひな-ちかのり)は、戦国時代に今川家の重臣として活躍した武将で、庵原城の城主を務めていました。
朝比奈氏は、もともと桓武平氏・三浦氏である和田義盛の3男・朝夷三郎義秀の後裔とされます。
父は朝比奈俊永ですが、朝比奈親徳の生年は不明です。
駿河の今川家で、朝比奈丹波守親徳は、太原雪斎らと宿老だったようで、領国経営に参画していたことが伺えます。
1548年(天文17年)、小豆坂の戦いでは、同じ一族の朝比奈泰能や、子の朝比奈信置らと参戦しています。
他にも、朝比奈義永、朝比奈義信と言う子がいます。
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1559年(永禄2年)、今川家の重臣・関口親永と共に、成人したばかりの松平元康(徳川家康)の後見を務めました。
1560年(永禄3年)、織田信長との桶狭間の戦いでは、織田勢の急襲を受けて、窮地のなか、今川義元を守るべく本陣で奮戦したとされます。
この時、負傷するも逃れて、のち主君・今川義元が討死したのを聞き、後悔したと伝わります。
その後、引き続き今川氏真に仕え、奉行として活躍しますが、朝比奈親徳は1566年8月22日に死去しました。
子の朝比奈信置は、今川家が没落したあと、甲斐の武田勝頼に仕え大活躍したとあります。
その子・朝比奈宗利は、徳川家の旗本となっています。
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2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」では、今川義元(片岡愛之助さん)の家臣として朝比奈親徳が登場し、俳優の山口馬木也さんが、奮戦する武将を演じました。
・桶狭間の戦いとは 桶狭間古戦場跡 桶狭間合戦を解説
・今川義元「分かりやすく解説」領国経営に優れた優秀な戦国大名だった
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