酒巻靱負(さかまきゆきえ)
史料が乏しく、小生は最初、架空の人物かな? と思い込んでおりましたが、酒巻靱負はどうやら、実在した成田家の家臣のようです。
羽生市に、上手子林という地名があり、そこの酒巻家(現在15代)に伝わる「酒巻家系図」に、酒巻靱負助と、靱負の弟と考えられる酒巻右衛門次郎の名前が残っています。
天正十八年六月四日より同月廿八日(28日)まで、武州忍城攻め合戦の時、下忍口の大将酒巻靱負助、手下の軍兵五百余人、大いに戦う。右衛門次郎。同時に城を守る。
との記述が見受けられます。
忍城開城後は、松平家臣の富田甲斐守が知行した、羽生の上手子林に土着したようで、富田甲斐守の家臣に加わり、代官を務めていたようです。
スポンサーリンク
・成田長親とは~のぼうの城の愉快な主人公
・成田甲斐【甲斐姫】をわかりやすく解説~成田家の女傑「のぼうの城」
・正木丹波守~成田氏家臣と高源寺
・長束正家~豊臣家で財政を担当した算術に優れた武将
・石田三成とは~律儀で算術が得意だった才ある武将
・大谷吉継の雄姿~関ヶ原の戦いでも石田三成に加勢
・石田三成の忍城水攻め采配と智略
・忍城~高源寺~丸墓山古墳~石田堤の訪問記(成田家探訪)
コメント
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。