藤原行成をわかりやすく解説【光る君へ】故実に明るく詩文の才能にすぐれた公卿

藤原行成

藤原行成とは

藤原行成(ふじわら の ゆきなり)は、平安時代中期の公卿で972年に生まれた。
2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では、俳優の渡辺大知さんが藤原行成の役を演じられる。
父は右少将・藤原義孝でその長男。
母は中納言・源保光の娘。


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藤原行成が生まれた頃、父・藤原義孝はまだ19歳くらいだったようで、祖父の摂政・藤原伊尹が972年に亡くなったため、藤原行成は藤原伊尹(これただ)の猶子となった。
しかし、天延2年(974年)父・藤原義孝も流行した疱瘡(天然痘)にかかり21歳の若さで急死。

藤原行成の一族は没落し、外祖父である権中納言・源保光の庇護を受ける不遇な青年期を送った。

984年、師貞親王が即位して花山天皇になると、藤原行成は985年に侍従。
989年、藤原行成(18歳)は源泰清の娘(姉)と結婚。
995年、一条天皇が重用すると藤原行成は24歳の若さで蔵人頭に抜擢され、以後弁官も歴任し活躍する。
前任者で参議に昇進した源俊賢の推挙もあった。
999年、藤原道長の長女・藤原彰子が一条天皇の後宮に入内し女御となった。
そして、藤原彰子の立后のため、藤原行成は一条天皇に意見具申。
感謝した藤原道長は、子の代まで兄弟のような処遇をすると約束している。
このように藤原道長の信任も厚く、左中弁・右大弁をへて1001年、藤原行成は30歳で参議。

1001年、藤原行成邸で藤原詮子が崩御。
1005年、内裏が焼亡すると源俊賢らと造宮行事を担当。
藤原行成は従二位に昇叙され、位階の上では中納言の藤原時光、権中納言の源俊賢・藤原忠輔、先任参議の藤原懐平・菅原輔正を越えて二位の参議となった。

恩がある源俊賢の上席には着席しなかったと言う逸話がある。
源俊賢が出仕する日は病気と称して出仕を控え、やむなく両者が出仕する日は、向かい合わせの席に着座したとされている。

1009年、先任参議の藤原有国を超えて権中納言。
1020年、権大納言に任じられている。

多芸多才で藤原公任(きんとう)、藤原斉信(ただのぶ)、源俊賢(としかた)らとともに一条朝の四納言と称された。
小野道風・藤原佐理と共に書は三蹟のひとりで、筆跡は権蹟(ごんせき)、書風は世尊寺流とよばれ、藤原行成の自筆と言われている書は国宝・白氏詩巻(東京国立博物館蔵)、国宝・本能寺切(本能寺蔵)、国宝・後嵯峨院本白氏詩巻(正木美術館蔵)が残されており、書道・世尊寺流の祖。

「権記」(ごんき)という20年続けた漢文の日記もある。

藤原行成の4娘が、藤原道長の6男・藤原長家の妻になっている。


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1027年、体調を崩した藤原行成は、藤原道長と同じ日に死去。享年56。
最終官位は権大納言守正二位兼按察使。

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