源俊賢をわかりやすく1分で解説【光る君へ】藤原道長の権勢をささえた忠実な能吏

源俊賢

源俊賢とは

源俊賢(みなもと の としかた)は、平安時代中期の公卿で960年に生まれた。
2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では、俳優の本田大輔さんが源俊賢の役を演じられる。
父は西宮殿に住んでいた西宮左大臣・源高明(醍醐天皇の第10皇子)でその3男。
母は右大臣・藤原師輔の3娘。


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969年、源満仲と前武蔵介・藤原善時ら藤原氏の策略にて左大臣の父・源高明が大宰権帥に左遷され失脚(安和の変)。
11歳くらいだった源俊賢も九州・大宰府に赴いたと考えられている。
971年、父の罪は許されて帰京すると、源俊賢は大学寮でも学んだようだ。
<注釈> 大学寮(だいがくりょう)とは官僚育成機関。

源俊賢は父を左遷した藤原氏の権力をよく理解していたのか、藤原兼家・藤原道隆のもとで出世。
執政・藤原兼家が源俊賢・源経房の兄弟を面倒見していたようだ。

なお、和泉式部が源雅通や源俊賢?と一時恋仲になったともされる。

982年、政界に復帰することなく父・源高明が死去。
988年頃?、父の失脚後、叔父・盛明親王の養女を経て東三条院の庇護を受けていた、妹・源明子藤原道長と結婚して高松殿と呼ばれている。

992年、源俊賢は一条天皇のもと異例の抜擢で蔵人頭。
995年には参議に任じられ、後任の蔵人頭には親友の藤原行成を推挙している。

一条天皇の時代に活躍した源俊賢は儀式・政務に明るく詩文の才もあり、藤原公任藤原斉信・藤原行成の4任を「一条朝の四納言」と称する。

1005年、内裏が焼亡すると藤原行成らと造宮行事を担当。


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1017年、源俊賢は権大納言に昇進するも2年後に辞して治部卿(のちの民部卿)と太皇太后宮大夫を務めた。
1028年、源俊賢は出家して没した。享年69。

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