駒場の長岳寺~武田信玄火葬の地(武田信玄公灰塚供養塔)【武田信玄の墓シリーズ】



信州・駒場(阿智村)の「長岳寺」(ちょうがくじ)に行って参りました。武田信玄終焉の地とされる場所です。
駒場は、武田信玄が甲斐に戻る途中、亡くなった場所とされています。
小山田信茂宛御宿堅物書状写によると、実際には、駒場宿で命を落としたと言うよりは、三州街道の寒原峠から駒場に抜ける途中(山中)で1573年4月12日に亡くなり、この駒場の長岳寺に運ばれたと言うのが正しいようです。
この時、長岳寺は、武田信玄の義理の兄弟である下條家出身の六世・裕教法印が住職を務めていました。



ちなみに3万もの大軍となると、先頭が駒場でも軍勢の後方末端はまだ三河です。
そんな中、武田信玄の遺骸は、馬場信春、原備前、高坂弾正、下條伊豆守など重臣らの手により、極秘のうちに駒場で火葬されました。
火葬された場所は、現在の中央自動車道の北側に当たる、山の中腹と言う事で、長岳寺にて火葬された訳ではなさそうです。

長岳寺

そして、武田信玄の遺言通り、まだ「生きている」と言う事で、武田勢は引き続き影武者を立てて、古府中に戻ったのです。

なお、阿智川の対岸には、駒場城があります。

武田信玄公灰塚供養塔

20150813131350370

武田信玄400年祭(昭和49年)に、裏山の火葬塚から採取した火葬灰を境内に移し、供養塔として十三重塔を建立しました。
よって、武田信玄の墓としては新しい部類であり、ここは供養塔でもあるのですが、甲府や龍雲寺と共に「武田信玄の墓」としてご紹介させて頂きます。

馬場信春の供養塔

また、武田信玄の供養塔の右脇には、長篠の戦いで討死した馬場信春の供養塔もあります。
武田勝頼の時代、馬場信春は南信濃あたりを担当していたようで、三河にも馬場信春の供養塔がある寺院が存在しますし、長篠城付近にも馬場信春の墓とされるものがあります。

有料拝観

ご住職がお忙しくなければ、本堂の内部を有料拝観(200円)することが可能です。
常時、受付のようなものがある訳ではないので、どうしても有料拝観したい場合には、社務所でお願いしてみて下さい。

20150813131350500

大変貴重な武田信玄の遺品とされる「兜の前立て」を見る事ができる他、ご住職のありがたいお話も伺う事ができます。
観光所要時間は10分。有利拝観すると20分~30分となります。

アクセス・行き方

長岳寺への行き方ですが、下記の地図ポイント地点が無料駐車場がある場所となります。
近くに鉄道の駅はありませんので、電車では困難です。

根羽の信玄塚~武田信玄が命を落とした場所か?
武田信玄とは~智力溢れる戦略と人物像・性格は?
武田信玄の墓はどこにあるのかに迫る
武田信玄が死の直前に残した遺言の内容とは
御宿友綱と御宿勘兵衛の活躍と駿河・千福城

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!




関連記事



あなたの思いを下記にどうぞ

  1. この記事へのコメントはありません。


気になる戦国女性

  1. 戦国武将列伝Ω
    久保姫(くぼひめ)は、飯野平城(陸奥・大館城)主・岩城重隆の長女として1521年に生まれた。 通称…
  2. 石井彦鶴姫は、1541年に肥前・飯盛城主である石井常延(石井兵部少輔常延)の次女として生まれました。…
  3. 阿南姫(おなみひめ)は、米沢城主・伊達晴宗の長女として1541年に生まれた。兄に岩城親隆、弟に伊達輝…
  4. 淀殿(よどどの)は1569年に近江・小谷城にて誕生した。 父は浅井長政で、母は織田信長の妹・お市の…
  5.  於菊(おきく)は真田昌幸の5女で、名胡桃城で生まれた。  真田信之・真田信繁らの妹に当たる。生年…

人気の戦国武将

  1. 今川義元(いまがわ-よしもと)は、1519年、駿河・遠江守護の今川氏親の5男として生まれた。幼名は芳…
  2. 遠藤直経(えんどう-なおつね)は、近江の須川城主・遠藤主膳の子として1531年に生まれました。通称は…
  3. 戦国時代の1582年6月2日の本能寺の変で織田信長を倒して明智光秀ですが、なかなか味方してくれる大名…
  4. 勝山館
    武田信広(たけだ-のぶひろ)は、若狭の守護大名・武田信賢の子として、1431年2月1日、若狭小浜・青…
  5. 淀殿(茶々)が産んだ、子供である豊臣秀頼の父親は誰なのでしょう? 状況的には豊臣秀吉が父親である可…

戦国グッズ通販

実際に鉄板も使用した本物志向「高級」甲冑型の携帯ストラップ
甲冑型ストラップ

戦国浪漫グッズ
戦国武将グッズ

戦国浪漫「戦国グッズ」通販

メールでお知らせ

新規記事追加をメールで受信

ページ上部へ戻る