1571年に誕生した蜂須賀糸姫(蜂須賀イト)は、蜂須賀小六の娘で、母は尾張国の地侍・益田持正の娘・大匠院(?-1611)。
1584年1月、黒田長政(17歳)に糸姫(11歳?)は嫁いだとされる。黒田長政は、蜂須賀小六と共に、羽柴秀吉の軍師として仕えた黒田官兵衛の嫡男であった。
豊臣秀吉が前年の秋に、この話をまとめて、養女格として、結婚に至ったものと推測される。
下記は「軍師 官兵衛」にて、糸を演じる高畑充希さん。
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ただし、黒田長政が糸と結婚する前には、実は他に婚約者がおり、1577年12月、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の命により、別所重棟の娘と婚約していたが、その後、別所家が織田に反旗を翻した為、破談となったようだ。
※黒田長政は、中津に入った際に、宇都宮鎮房との和睦のために娘「鶴姫(千代姫とも?)」を娶ったとする説もあるが、これは後年の創作と考えられる。
糸は、台所の水汲みから黒田24騎になった与助に、益田姓を与えて取り立てる(益田正親、益田与助正親)などした逸話もあるが、しばらく子に恵まれず、ようやく娘・お菊を設ている。
しかし、ついに男子は生まれないまま、お菊が4歳の時に離縁となった。
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離縁の理由は、石田三成らと対立を深めており、豊臣秀吉の死後、黒田家は徳川家康に接近。そして、徳川家康の養女「栄姫(ねね姫)」を正室(継室)に迎えて、黒田家と徳川家の関係を強化する為で、黒田官兵衛の策と考えられる。
その為、黒田家と蜂須賀家は犬猿の仲となり、以後100年以上に渡り絶交となっているが、関ヶ原の戦い前に、正室と離縁した大名は他にも例がある。
糸姫は、阿波の蜂須賀家に戻ると、徳島城の西の丸に住した。
後に出家して尼となり宝珠院と号すると、城下の出来島に、新たに臨江寺を建立し寺に入った。
子であるお菊は、のち黒田家臣・井上九郎右衛門の嫡男・井上庸名の正室になっている。
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