伊也姫のお噺~本能寺の変により動かされた細川忠興の妹の運命

弓木城

2020年「麒麟くる」明智光秀公を主人公とした大河ドラマが決定致しました!

長年、明智家・細川家の大河ドラマ誘致キャラバン隊の細川ガラシャとして、長岡京市や福知山市を中心に署名活動を行ってきたので、大河ドラマが決定したと聞いた時は本当に嬉しかったです。
それと同時に、ご署名して下さった皆様と、応援して下さった皆様への感謝の気持ちが溢れました。
本当にありがとうございました!

そこで、明智家と細川家に関係する人物のことを綴っていきたいと思い、今回は「細川(一色)伊也」について綴らせて頂きます。

逸話の少ない姫なので、知らない方も多いかもしれませんが、明智家、細川家を語る際には、必ず触れられるであろう、そんな人物の一人です。

伊也(いや)姫は、細川ガラシャ姫の夫、細川忠興公の妹です。
ガラシャ姫と忠興公は同じ年なので、伊也姫は二人よりも五歳年下となります。

細川忠興

忠興公の額には初陣の時に負った傷がありました。
忠興公はその傷を名誉の負傷と自慢していました。
ですがいつしか顔の傷について触れることは禁句となります。

その理由は、新たに負った鼻の傷が原因でした。

細川家は丹後半島の東に位置する弓木城の攻略に、二年以上も時間と費用を費やしておりました。

このままでは、織田信長公の怒りに触れるかもしれない…そう考えたのは明智光秀公だったそうです。

明智光秀

光秀公は信長公の怒りを買う前に、何とか手を打たなければと考えます。

その結果、細川家の伊也姫を弓木城の一色義定公に輿入れさせるという提案を致します。
合理的な、まさに光秀公らしい策略ともいえます。

ただこの案に、忠興公は反発したとも。
敵国への輿入れ、それは伊也姫を人質に出すことと変わらないと。

忠興公が伊也姫と特別仲が良かった訳ではなかったのでしょうが、血気盛んで負けん気の強い忠興公からすると、負けてもいない相手に細川家から人質を差し出すという行為が、気に食わなかったのかもしれません。

しかし藤孝公も光秀公と同じく、この提案の利益を確信していたかと思います。

細川藤孝

そうして話はとんとん拍子に進みました。

この時、まだ幼かった伊也姫ですが、己が一色家に嫁ぐことが細川家にとっていかに大切なことであるか、理解はしていたかと思います。

伊也姫にとっては、これから向かう弓木城こそ、自らの戦場であると…

しかし、運命とは残酷なものです。

本能寺の変が起きてしまい、細川家は羽柴秀吉公に付き、一色家は明智光秀公に付き、両家は対立してしまいます。

本能寺跡

そんな時、天正10年(1582)9月(諸説あり)、本能寺の変の混乱が続く中、細川家は伊也姫の夫、一色義定公を細川家の居城、宮津城の宴席へと招きます。

ただ、義定公は細川家を信用してはいなかったようで、多数の兵を連れて向かったそうです。
ですが宴席は密室にされてしまい、忠興公が自ら刀を抜き、義定公を切り殺しました。
その後、家臣や雑兵も討ち取られ、弓木城も降伏しました。

伊也姫は弓木城から救い出され、父や兄の元へと戻りました。
そして久しぶりに兄、忠興公と対面…
忠興公が伊也姫に声をかけようと席に着いたその瞬間、伊也姫の懐刀が忠興公を目がけて走ります。

忠興公はとっさに身を引いそうですが完全に避けることは叶わず、鼻筋を横一文字に切り裂かれてしまいました。
その後、伊也姫は家臣に取り押さえられ、何とか事は収まったと…

忠興公は初陣の城攻めの際に、一番乗りを果たして信長公より感状をもらっており、その時の投石でできた額の傷を自慢にしていましたが、伊也姫から付けられた鼻の傷が残って以降、顔の傷のことを話題にするのは禁句となりました。

父、藤孝公(幽斎)と実弟、細川興元公との不仲、長男の忠隆公の廃嫡、次男の興秋公への切腹命令と、身内にも容赦のない忠興公。
ですが、伊也姫に報復を行ったという形跡がありません。


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鼻の傷は、終生彼の顔に残ることとなりました。
ただ、伊也姫の心の傷も消えることはなかったでしょう。

伊也姫が一色義定公と過ごした時間は二年程と短かったようですが、この逸話を聞く限り、二人は大変仲が良かったのではないでしょうか。

伊也姫は義定公の死後すぐ、賤ヶ岳の戦いが起こる直前、父、藤孝の従兄弟である吉田兼見公の息子、吉田兼治公へ嫁ぐことになります。

それは、一色義定公の謀殺から僅か一年後でした。
ただ、兼治公との間には、多くの子をもうけたそうです。

余談ですが、後に京都の大徳寺を訪れた忠興公は、希首座という名な僧を突然切り捨て、しかも希首座の弟まで殺してしまいます。

というのも、希首座とその弟は一色氏の一族だったそうで…

希首座

忠興公はその僧を切り捨てた刀を「希首座(きっそ)」と名付け、愛用したと云います。忠興公の狂気を感じます。
伊也姫の心を思うと、苦しいですね…

本能寺の変、そして細川家によって過酷な運命を辿ったのは、玉子姫(ガラシャ)だけでなく、伊也姫、その人もです。

細川ガラシャ

姫の人生はあまり語られることはなく、史実も少ないですが、こうして生きた方々が実際におられました。

この平成の世に生きる我々にとって戦国時代のお話は、まるでドラマかアニメのように感じられるかもしれませんが、決してフィクションではありません。


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本能寺の変という歴史的に大変大きな事件の裏側には、語られていない出来事、知られていない真実が隠されております。
そしてそこには多くの人間の関わりや、想いがあります。

「麒麟がくる」では、どのように描かれるのか、とても興味深いですね。

(寄稿)在原 叶

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コメント

  • コメント ( 1 )

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  1. 蕪山

    伊也姫は私から数えて14代目の先祖です。
    伊也姫と吉田兼治との娘が阿野実顕に嫁ぎ、その子が姉小路家へ、その後山本家を介して慈光寺家に、そして私へ血は繋がります。
    興味深いお話しを読ませて頂き、ありがとうございました