蘇我入鹿 1分でわかるポイントと生涯

蘇我入鹿




蘇我入鹿(そが-の-いるか)は、蘇我蝦夷の子として611年頃に生まれた、飛鳥時代の中央の豪族です。
聖徳太子の死後、上宮王家を排斥した蘇我氏は、天皇を凌ぐ権力を誇り、実質的に日本の政治を担っていました。
祖父・蘇我馬子、父・蘇我蝦夷(そがのえみし)も、大臣として政治に関わっていました。
642年に、皇極天皇(こうぎょくてんのう)が即位すると、蘇我入鹿が大臣となって国政を掌握しました。
その権力は父・蘇我蝦夷よりも、まさっていたとされ、最高権力者としての地位を固めました。


643 年、舒明天皇の皇子で、蘇我馬子の娘が産んだ、蘇我氏の血をひく、古人大兄王を即位させようと、聖徳太子の子・山背大兄王の一族を斑鳩寺 (法隆寺)にて自殺に追い込みます。
これらの強硬的に政策は、当然、反発も強く、中大兄皇子 (のちの天智天皇) と中臣鎌子 (のちの藤原鎌足)らは、反対すね豪族を仲間にし、蘇我氏打倒を進めました。
645年、朝廷にて、三韓(新羅、百済、高句麗)から来日した進貢(三国の調)の儀式出席のために、飛鳥板蓋宮の御所に入った蘇我入鹿は暗殺されました。享年35?
翌日には、蘇我蝦夷の館も包囲されて自害させられ、蘇我氏宗家は滅亡しました。
そして、大化の改新と言う政治改革となり、有力豪族による政治から、天皇を中心とした政治へと転換が進みました。

蘇我氏

蘇我稲目(そがのいなめ)~曽祖父
蘇我馬子(そがのうまこ)~祖父
物部守屋の妹~祖母
蘇我善徳(そがのぜんとこ)~伯父で法興寺(飛鳥寺)の寺司。
蘇我蝦夷(そがのえみし)~ 父。蘇我善徳の弟だが、蘇我氏本家を継いだ。
弟(名前不詳)~蘇我蝦夷の次男で、物部氏の血を引いているとして物部大臣(もののべのおおおみ)になった。
蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわのまろ)~従弟。蘇我氏だったが中大兄皇子らと共謀して蘇我入鹿暗殺に加わった。

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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査・研究している歴史人物研究家です。
自慢できるものはありませんが、資格は史跡訪問のための国内旅行地理検定2級、水軍研究のための小型船舶操縦士1級など。

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