長野県塩尻市片岡にある「北熊井城」(きたくまいしろ)は舌状台地先端に築かれた平山城で、比高は10m~15m程度。
築城時期は不明ですが、埴原牧の別当から武士になった村井氏が築城したとされる。
戦国時代には小笠原氏の家臣の城であったと考えられるが、武田信玄が落城させたあとは、武田家によって北熊井城は改修されたと考えられる。
その結果、1万程度でも収容できる城となり、恐らく松本侵攻への拠点にも一時なったものと推測できる。
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高白斎記によると1545年6月15日頃に、熊野井の城が自落とあるので、武田勢の侵攻の際に、降伏したのであろう。
そして、小笠原長時は松本を追われた。
また、1552年6月8日には、熊野井の城を改修開始とある。武田勢の塩尻における拠点として、シンプルではあるが整備されたと考えて良いだろう。
典型的な台地に築かれた城郭で、丘陵の東側(山側)から攻撃を受けやすい地形であるため、東側には堀切を何箇所も巡らした防御陣形となっている。
また、それらの堀切が比較的良い状態で残っている。
北熊井城の本丸脇にある木標。
西側から北熊井城へと入る道路。
堀切が何箇所もあるので、なかなか見どころがあります。
本丸を防御するように、東西に堀切が何重にも巡らされています。
全部見ると、見学所要時間は40分~60分といったところです。
案内板もありました。
武田滅亡後の1582年に、本能寺の変にて織田信長が横死したあと、徳川家康の支援により、小笠原貞慶が松本平に復帰すると、溝口美作守が塩尻・北熊井城を知行した。
アクセス・行き方
北熊井城への行き方ですが、下記の地図ポイント地点が、一番上の写真の場所となります。
地図を縮尺してご覧ください。
なお、駐車場はないので、農道で止められそうな場所を見つけてとめさせて頂くしかないです。
駐車禁止ではないが、農作業などの邪魔にならないよう気を付けて、尚且つ短時間になるよう配慮願います。
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