大野小弁~黒田長政の身代わりに討死した若武者(城井谷の戦い)



 黒田官兵衛黒田長政が豊前6郡(京都、仲津、築城、上毛、下毛、宇佐)12万石となると、本領安堵の約束を受けていた宇都宮鎮房は領地を失い、田川郡赤郷に身を寄せていたが、1587年10月2日、城井谷に帰還して、大平城と溝口館を奪還し、一族挙げて反旗を翻した。
 黒田長政は、反逆行動に我慢できず、黒田官兵衛に宇都宮討伐を乞うたが、黒田官兵衛はこれを許さなかった。

 しかし、黒田官兵衛が肥後国人一揆鎮圧で佐々成政の援軍として出陣している間の1587年10月9日、黒田長政(19歳)は兵2000に毛利勢の援軍を加え、無理に城井谷攻撃を敢行。第一次・城井谷の戦いとなり、寒田攻めを開始した。

 城井谷を正面からではなく、広幡城を攻略してから、そのまま岩丸の尾根を進んで小山田城を不意打ちすると言う作戦である。
 元・広幡城代の爪田春永が道案内し、黒田家の先手は大野小弁正重、2番手は勝間田彦六左衛門重晴(毛利家)、3番手が黒田長政と言う順で攻めた。

 谷筋のルートを進むより、尾根ルートは最短でもあり、黒田長政はすぐに宇都宮鎭房を討伐できると考えていたようで、後藤又兵衛らの反対を押し切って出陣していた。

 宇都宮鎭房は岩陰や木陰に、弓矢、鉄砲を伏せ、その後方に槍、長刀の武士、さらに竹竿を持った農民を配置し、小山田城付近の一番狭まったところで待ち伏させて、黒田勢を急襲させた。



 黒田長政が撤退を開始して、竹森新左衛門が旗を引くと、これを好機とみた宇都宮鎮房は、城井谷城から打って出て、山の高いところから黒田勢を追撃した為、黒田軍の先手が壊滅した。先手が崩れると、中軍も共倒れとなり、黒田軍全体が崩壊。

 黒田長政の護衛をしていた家臣・大野小弁(こべん)は「その羽織を着ていては標的にされてしまいます。願わくはその羽織を賜らん」と、黒田長政の羽織を着て馬を返し、勇猛果敢にも大野小弁は追撃してくる宇都宮勢に切り込んだと言う。
 大野小弁は総大将(黒田長政)のように振るまい奮闘するも、宇都宮鎮房(城井鎮房)の家臣・塩田内記に槍で突かれて、壮絶な討死となった。享年19。

 黒田家の高橋平太夫、横山興次(横山与次)、益田與六郎(益田与六郎)、四宮次左衛門、(もう1名は名前不明)の5人も、黒田長政が逃げる時間を稼ぐ為に馬を返して、追撃する宇都宮鎮房(城井鎮房)軍と戦って討死した。

 2陣の勝間田彦六左衛門も勝間田越(かつまたごえ)で、新貝荒五郎に討ち取られ、黒田軍は800余の戦死者を出し惨敗し多くの犠牲を出した。
 そこへ、黒田一成(黒田三左衛門)が手勢を率いて黒田長政の救出に駆けつけ、三宅三太夫・菅六之助・木屋兵左衛門・岡本彌兵衛・小河久太夫・坂本七左衛門らに守られて黒田長政は馬ヶ岳城に退去成功し、九死に一生を得たのであった。

 一方、黒田家の旗奉行・竹森新左衛門は後陣に踏みとどまり、巧みに旗を立てたり引いたりして、宇都宮勢の追撃を軽減させ、竹森新左衛門は見事に帰還した事から、翌年に600石を加増されている。
 
 大野小弁が討死した場所は「小弁殿、コベンド」と呼ばれている。
 また、討ち取られた首八百余りは櫟原の地に並べられ、現在も「首塚」という地名として残されている。

 

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