正木丹波守利英 (正木利英、正木丹波守勝英、正木勝英)
正木氏は、安房国北郡正木郷から起こった在名であり、成田氏家臣の正木丹波守利英は栢間に加え、郷地と笠原を知行していたようだ。
忍城主・成田氏長の家臣。
豊臣秀吉の小田原征伐(小田原攻め)時に忍城に籠城し、忍城の南方にあった佐間口では正木利英の活躍により寄せ手を撃退した。
正木丹波守勝英は「成田下総守氏長に仕へ、天正18年忍城に楯籠りて佐間口を守り、落城の後当所に土着して卒すといへり」と新編武蔵風土記稿に記載されている。
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成田氏が降伏した開城後は会津に向かった成田氏長に従わず、忍の地に留まり、戦歿者の菩提を弔うため佐間口付近に高源寺を建立。
守天和尚を招き開山した。
しかし、翌年6月2日に正木利英は亡くなったとされ、その後、高源寺は城主や幕府の庇護が無かったが、今日でも健在である。
下記写真は、暗くて良く分かりませんが、正木丹波守の墓。
高源寺への行き方・アクセスは下記の地図ポイント地点が境内駐車場となります。
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