中山家範(中山勘解由家範)の子孫は水戸黄門を誕生させた立役者


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北条氏照の重臣・中山家範は、馬術や槍の名手と言われ、北条家において数々の手柄を立ていた。
八王子城の攻撃に当たった豊臣勢は、劣勢ながら見事な戦いぶりをする中山家範を「一騎当千の勇者であり、無駄死にさせてはいけない。」と、前田利家上杉景勝は降伏勧告の使いを出した。
しかし、中山家範は降伏せずに、果敢な戦いを繰り返した後、最後には覚悟をし、二人の男児と妻を斬って、自身も自刃したと言う。
豊臣秀吉は首実験のとき、中山家範の忠節に深く感動し、特別に首級を机上におき 「中山勘解由左衛門」と名札をつけて、小田原城北条氏に送った。


そのときの中山家範の素晴らしい武勇を聞いた徳川家康は、小田原城に北条氏照と共に入っていて、無事だった中山家範の二人の子供たちを探し出し、1590年8月、徳川家康の小姓に召し抱えた。
武蔵の加治に潜伏していたとされ、300石を与えられて徳川秀忠の使番に任じられる。

中山家範の長男の名は、中山照守(当時21歳)で、照守の「照」は、当然ながら主君・北条氏照の「照」を賜ったものだったが、徳川家の家臣となってからは、徳川家康・徳川秀忠にもよく仕え、1600年関が原の際には、徳川秀忠に従い、上田合戦(第2次上田城の戦い)にて上田七本槍に数えられる働きをする。
しかし、軍律違反を指摘され、真田信之お預けとなって上野吾妻郡に閑居。しかし翌年に許され本領を安堵される。
中山照守は父・弟と共に高麗八条流馬術に優れており、徳川秀忠に馬術を教授。のちに3代将軍・徳川家光にも手ほどきした。
1614年大阪冬・夏の陣にも貴重な実戦経験がある武将として従軍し、子の中山直定とともに参戦。得意の馬術で戦功を挙げて500石を加増となり、後に1000石加増され、目付として肥後国熊本に巡察として赴く。
1632年に鑓奉行となり、最終的に3500石の大身旗本・御旗奉行となった。

次男の中山信吉(当時15歳)も徳川家康の小姓となり、中山の近郷宅貫を采地(1500石)として与えられ、1603年に伏見城にて、刀を盗む賊徒を捕らえた功や、駿府城大火時における徳川頼房救出などの功により、徳川家康の厚い信頼を得たようで、徳川家康の11男・徳川頼房が下妻10万石に配されるに伴い、徳川頼房の養育と補佐に抜擢され家老(6500石)に任じられた。徳川頼房が水戸転封となると1万5000石に加増。
1616年3月26日には、従五位下備前守に叙任。1621年には2万石に加増。翌1622年、常陸松岡(現在の茨城県高萩市)を居館を構え、水戸徳川家の付家老(筆頭家老)として常陸松岡藩2万6千石となった。
徳川頼房の子で、まだ幼い徳川光圀(水戸黄門)を水戸家第2代の藩主にと、将軍・徳川家光に推挙した人物としても知られる。

八王子城に向う道を途中、右に曲る狭い道があり、その道を進むと北条氏照とその家臣の墓(供養塔)がある。
この北条氏照の供養塔は百回忌追善の際建立したものだ。両脇には中山勘解由家範および中山信治の墓があり、中山信治は中山勘解由家範の孫で水戸藩家老中山備前守信治。


中山家範は加治家範と同一人物 ?

八王子城で自刃した武将に中山家範(中山勘解由家範)がいるが、同じく自刃した武将に加治家範と言う武将がいて、この2人は同一人物だと小生は考えている。理由としては下記の通りである。
中山家範も加治家範も生まれた年が同じ1548年で、没年も没地も同じ八王子城。
2人とも高麗流馬術(八条流馬術)の達人。
中山氏は秩父近辺を納めた、武蔵七党の丹党の一族であった加地氏の後裔で、中山の地を所有して中山氏を名乗った。その為、古い姓名の加治氏と呼ばれてもおかしくない。
中山家範の家臣・本橋貞潔が主君の遺命に奉じて、1596年に造った飯能の神社の名が「加治神社」である。

水戸黄門(徳川光圀)とは

 

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