真田於菊とは【真田昌幸の5女で滝川一積の正室】

 於菊(おきく)は真田昌幸の5女で、名胡桃城で生まれた。
 真田信之真田信繁らの妹に当たる。生年は不明。
 母は側室のお徳。

 母・お徳はお菊を身ごもったため、樋口角兵衛によって殺害されそうになる。
 その為、真田幸村に護衛されて、鈴木主水が城主の名胡桃城に移った。

 しかし、北条勢が名胡桃城を落城させた際、上田城に知らせようと脱出を試みたが、お徳は敵兵に射られて、お江(女忍者)の見守る中亡くなる。

 その為、於菊は上田城に引き取られ、山手殿によって養育を受けた。

 お徳ゆずりの豊かな体つきで、ふっくりと愛らしい面立ちであったとされる。


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 そして、石田三成の妻の従兄弟(頼忠の兄・尾藤知宣の子)・宇多頼次に嫁ぎ、真田家と石田家は縁戚となる。
 これが、真田昌幸が石田三成の西軍に属した理由の1つともされている。

 関ヶ原の戦いの際、夫・石田頼次(宇多頼次)は、石田三成に殉じて佐和山城で自刃したため、その後、滝川一益の孫・滝川一積(滝川三九郎)に嫁いだ。
 この滝川一積は、父・滝川一忠が豊臣秀吉から追放を受けたあと、真田昌幸を頼っていたとされ、真田昌幸が娘の於菊を託したようで、そのまま正室となった。
 のち、滝川一積は徳川家の旗本1000石となっている。

 1615年に真田幸村が死去したあとには、真田幸村の娘・あくり(あぐり)を滝川一積は養女として迎えており、伊予松山藩家老・蒲生郷喜に嫁がせた。

 しかし、1632年にそれらの事を咎められて幕府使番の職を解かれている。

 於菊は1666年5月に死去した。

 ・滝川一積に関してはこちら

コメント

  • コメント ( 2 )

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  1. 退治朗

    初めまして、こんばんは!

    御菊こと趙州院は結構、長生きしたんですね。現在、CSで「真田太平記」を視聴中ですが、
    こちらには出てきて、「真田丸」には出てこない配役ですね。

    「真田丸」と「真田太平記」を比較しながら見ていると配役というか登場人物の違いが
    分かりますね。

  2. 退治朗さま、この度はコメントを賜りまして、誠にありがとうございます。
    ドラマは創作ですが、真田丸も色々と楽しめましたね。
    ありがとうございました。