お鶴 (鶴姫、千代姫)~宇都宮鎮房(城井鎮房)の娘の悲劇


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お鶴(鶴姫、千代姫)は、宇都宮鎮房(城井鎮房)の娘。
母は正室・大友義鑑の娘であると考えられます。
お鶴の名は鶴姫とする説や、千代姫とする説もある。

1587年、お鶴(鶴姫)の父・宇都宮鎮房は、豊前6郡の領主となった黒田官兵衛に反発して、城井谷城に籠城。
1588年正月、安国寺恵瓊の仲介で、本領安堵と宇都宮鎮房の子である宇都宮朝房と、13歳になる娘・鶴姫を人質とする事を条件に、黒田家と和議を結んだ。

この時、お鶴(鶴姫)は3人の侍女と共に、普請途中の中津城に人質として入ったものと考えられる。
鶴姫は黒田長政と婚姻(側室?、正室とも?)したと言う説もあるが、人質だった可能性が高い。

どのように人質生活していたのかは記録がなくわからない。しかし、人質と言っても戦国時代の人質は比較的自由に生活できた為、恐らくは黒田官兵衛の正室・光姫や、黒田長政の正室・糸姫らと共に生活をしたいたと推測できる。

しかし、そんな人質生活も僅か数ヶ月で終わる事となった。

人質を差し出して黒田官兵衛に降伏した宇都宮鎮房は、新年の挨拶にも出向かず引き続き城井谷城に籠もったままで、不穏な動きを続けた。

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そんな中、黒田官兵衛が、豊臣秀吉から肥後の諸事置目などを申し付けられ、人質・城井朝房を連れて肥後へ向かうと、1589年4月20日、宇都宮鎮房は黒田長政への挨拶を理由に、手勢200人を従えて突然中津城を訪問した。この訪問は、黒田家側が鶴姫との面会を許したと言う罠だとも言われるが、良く分かっていない。

宇都宮鎮房は城下町にある合元寺(庶子の空誉が住持)に従者を待機させ、数人の側近を連れて黒田長政が留守を守る建設途中の中津城を訪れた。

中津城

黒田長政は「本当に挨拶なら、日時を打ち合わせて、父上が居る時に来るはず。父上の留守に案内もなく押しかけてくるとは、ますます無礼である」と言い、足を負傷していた吉田又助(吉田重成)に酌を命じ、野村太郎兵に城井鎮房の殺害を命じた。

不穏な空気を察したのか、宇都宮鎮房は1人だけで中津城内へ入れとの指示をそのまま受け入れると、黒田長政は宴席を設けたが、宇都宮鎮房の態度は降伏した武将には見えなかったと言う。

宇都宮鎮房(城井鎮房)に吉田又助(吉田重成)が酌をして、わざと酒をこぼして油断させたところを、膳を運んできた野村太郎兵衛が、膳を宇都宮鎮房に投げつけ、左の額から目の下まで切りつけた。そして、側にいた黒田長政も刀を抜き、左肩から右横腹までを切りつけ、宇都宮鎮房は倒れたと言う。

城外で待機していた宇都宮鎮房の家臣にも切り込むと、宇都宮鎮房の死亡を知った城下の宇都宮勢は大挙して中津城へと迫ったが、黒田勢は鉄砲などで追い返したと伝わる。
宇都宮家の家老・渡辺右京進らが討死した合元寺での戦いは悲惨を極め、合元寺の白壁は血で真っ赤に染まり、今でも寺の庫裏の柱に刀傷が残っていると言う。

その後、黒田長政は手勢を率いて城井谷城へと攻め込み、豊後へと逃げようとした宇都宮鎮房の父・城井長房を討ち取り、宇都宮鎮房の一族13人を捕らえた。
そして、黒田長政はその日のうちに中津城へ戻り、鶴姫を含む宇都宮一族13人を、その日のうちに中津川で磔にした。
これは、豊臣秀吉の九州平定後、度重なる地元豪族の反乱があった為、見せしめの意味もあったと推測されるが、本当にむごい話である。

鶴姫は捕えられて閉じ込められた部屋にて、外から聞こえる自身を処刑するための磔柱を作る音を聞き「なかなかに きいて果てなん唐衣 わがために織る はたものの音」と辞世の歌を詠んだと言われる。

1589年4月22日、小犬丸の松林の山国川原(千本松河原)(築上郡吉富町小犬丸)で磔にされた鶴姫ら一族の遺体は埋葬され、塚が築かれたが、あとになってその地に鶴姫の霊を祀る宇賀神社が創建されたとされる。
ただし、これらの伝承は、江戸時代に入り宇都宮家(城井家)復興運動で大量の文書や軍記が創作された内容によるもので、信憑性が疑われる部分が多い。

人質の鶴姫は投獄こそされたが、黒田官兵衛が豊臣秀吉の許しを得て助命し、鶴姫は尼となって城井谷の山奥ににて、宇都宮一族の冥福を祈りながら天命を全うしたと言う説もあり、こちらの方が有力視されている。

NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」では、哀れな最期を向かえた鶴姫を、市川由衣さんが演じている。

宇賀貴船神社

大分県中津市の脇にあるJR吉富駅から徒歩10分ほどのところに宇賀貴船神社があります。

宇賀貴船神社

宇都宮鎮房が中津城で謀殺したあと、鶴姫と侍女13名は、ここ吉富町広津の山国川の川岸である「千本松原」にて、磔にされて殺害されとも伝わります。
その地に宇賀貴船神社があると言う事になります。
社殿の左側にある石碑が鶴姫の祠と言われています。

鶴姫の祠

宇賀貴船神社の言い伝えに寄りますと、江戸時代の1702年4月、鶴姫の墓から両足が生えている大蛇が出て来たと言います。
この大蛇を役人である木村文兵衛が鉄砲で成敗したのですが、その5日後に木村文兵衛は吐血して亡くなったそうです。

また、死んだ蛇を検分した中津城主・小笠原長円も病になったことから、死んだ蛇を墓に戻したとも言われています
蛇はもともと弁財天の使者ですので、この地に宇賀神として石祠を建て、鶴姫の霊を祀ったそうです。

また鶴姫の祠のすぐ左には、醍醐経一字一石塔があります。

醍醐経一字一石塔

この醍醐経一字一石塔は、1812年、中津藩で大きな一揆となり、その討伐で一揆勢が十数人が死傷したとの事です。
この時、中津藩主・奥平昌高は「これは鶴姫の怨霊の祟りに違いない」として、この供養塔を建立させたと言われています。

宇賀貴船神社がある場所ですが、下記の地図ポイント地点が入口となります。駐車場はありません。

また、遠くに中津城を望む山国川の河川敷には、下記のような渡しの跡「小犬丸渡し」もありました。

小犬丸渡し

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