卜部季武とは~坂上田村麻呂の血を引く人間味豊かな豪傑~

卜部季武

卜部季武とは

源頼光に仕えた四天王の一人に、卜部季武(うらべのすえたけ)がいます。この季武は同じ頼光四天王を構成する仲間である坂田金時や渡辺綱がそうであったように少年時代の動向ははっきりしておらず、一説には天暦4年(950年)生まれと言われていること以外、謎に包まれています。

しかし、彼は複雑にして膨大な系譜を持つ英雄で、中世の日本人に広く流布した数々の逸話と共に平安期に不動の名を残す武将です。本項は、その系譜と活躍を紹介していきます。


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英雄達の系譜を繋ぐ武将・季武

浦辺太郎坂上季猛、平季武などの別名を持つ季武は源満仲に仕えて山本郷(兵庫県)の守護、すなわち初代の山本荘司を拝命した坂上頼次を祖父、二代坂上季長(※1)を父に持っており、三代目の彼は満仲の息子である頼光に仕えて頭角を現しました。

更に、この坂上氏はアテルイ率いる蝦夷の征伐で知られる坂上田村麻呂に行きつき、その祖先は大和朝廷に属した渡来人の阿知王で、この王は中国の後漢に君臨した皇帝であった霊帝のひ孫に当たるため、季武の系譜は遠くさかのぼれば古代中国の天子にまで遡ることが出来ます。伝承によると、季武は安和年間(968~970年)にこの田村麻呂を祭神にした松尾神社(兵庫県宝塚市)を建立したと言われています。

更に、季武が拝命した山本荘司の職は戦国時代までも連綿と引き継がれ、武士として足利義輝や豊臣秀吉に仕えたのち、町人として接ぎ木の技法を発明した坂上頼泰は34代目の荘司になり、この頼泰は大正元年(1914年)に顕彰され、平成29年(2017年)には宝塚市の特別名誉市民に選ばれました。季武が引き継ぎ、そして守った山本荘司としての坂上氏は現代に至るまで英雄として同地で親しまれています。

伝説の世界にも不朽の名を残す

ここまでは歴史上の人物としての卜部季武を紹介してきましたが、彼が英雄としての面を見せるのは、数々の伝承の世界です。頼光の部下であるのみならず、異国の帝の末裔にして大英雄・坂上田村麻呂の子孫でもあると言う季武のポジションは豪傑と呼ぶにふさわしく能や御伽草子では『酒吞童子』に、神楽では『滝夜叉姫』『土蜘蛛』にも無類の勇者として登場します。

何よりも季武の人気を高めている傑作は『今昔物語集』で、同僚の碓井貞光・坂田金時と連れ立って賀茂祭に行くものの慣れない牛車に乗って失敗した話や、妖怪・産女(うぶめ)と一対一で対決したりと、豪傑らしい華やかさやコミカルさを交えたエピソードの主人公です。

特に後者では季武の豪快さが強調されており、乳飲み子を抱かせてくる恐ろしい女妖怪の産女が出ると聞いた彼は、産女の縄張りに行って来たら高価な武具や馬を与えようという話で盛り上がっている仲間達に、
「ようし、おれ様がそこに行ってやろう。渡れなかったら、それらの装備品をやろうではないか」

そう言うと季武は産女に出会っても恐れずに相手の子供を受け取り、産女が返してくれと懇願するのも聞かず、その子をさらって帰還します。季武が皆に赤ん坊を見せてやろうとすると子供は木の葉に替わっていましたが、季武の活躍を見守っていた仲間達は負けを認め、約束通り賭けた品物を渡そうとしました。

しかし季武は、
「なあに、冗談だよ。これくらいの事が出来ないわけ無かろうさ」
と笑って済ませ、それらの物を皆に返してやったので讃えられたと言います。このように勇敢ながらも粗暴で人間臭く、そして人の良さも兼ね備えた愛すべきあっぱれな豪傑ぶり、これこそが卜部季武が今も愛されている秘密であると言えます。

なお、牛車のお茶目なエピソードは杉本苑子さんの児童書、産女退治については水木しげるさんのコミックで紹介されていますので、季武の痛快な活躍を堪能したい方は読んでみるのも一興かもしれません。


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※1父の名を平季国、母を卜部尼公とする説もあり

参考文献・サイト

新編 日本古典文学全集・今昔物語集1~4  小学館 馬淵和夫・稲垣泰一・国東文麿
今昔物語上・下 中央公論社 水木しげる
今昔物語集 講談社 杉本苑子
兵庫県神社庁

(寄稿)太田

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