由良姫・由良御前 (ゆらごぜん)~熱田神宮との関係は?     


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平安時代末期の女性である由良姫・由良御前は愛知の熱田大宮司であった藤原季範の娘。
この藤原季範は。藤原南家である藤原季兼の子である。

もともと、熱田神宮は、尾張国造の子孫である尾張氏が代々、大宮司を勤めていたが、藤原季兼が尾張氏の娘と結婚して以降、その藤原氏が、熱田神宮の大宮司職を代々世襲することになり、尾張氏は権宮司を務めた。

その藤原季兼の子である藤原季範の娘が、由良姫(由良御前)である。

藤原氏の系図では女子の3番目として名が見られるが、誕生年など詳細は不明。

由良姫の父である藤原季範は、従姉妹に鳥羽院の乳母藤原悦子(藤原顕隆室)がおり、またその甥が信西(諸説あり)であるなど、中央政界との繋がりも多かったようだ。
※信西(しんぜい)の俗名は高階通憲(たかしな の みちのり)・藤原通憲(ふじわら の みちのり)

そのため、熱田大宮司家からは、男子は後白河法皇の北面の武士となる者が多く、女子は後白河院母の待賢門院や姉の統子内親王(上西門院)に仕える女房がいる。
もともと、待賢門院や後白河院・上西門院に近い立場にあったと思われる。由良姫自身も上西門院の女房として京都にいた可能性がある。

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源義朝は若い頃から東国(関東)に赴き、関東の有力武士を多数味方につけるなど、源氏の勢力回復を図り、源義朝は20代前半で南関東の武士団を統率する地位を確立した。
源義朝は関東にいた際に、三浦義明の娘との間(諸説有)に1141年、長男・源義平が誕生するなど、2人の女性を妻にしていたようだが、正室は設けていなかったようで24歳の頃に京都に戻った際に、由良姫を正室とした。
由良姫が源義朝の正室になった時期は1145年~1150年頃と推測されており、その後、源義朝との間に坊門姫(1145年誕生)、源頼朝(1147年誕生)、源希義(1152年誕生)と三子をもうけている(源義門も由良姫の子である可能性もある)。
そのため、源氏を継ぐ事になった、源頼朝も源義朝の長男と言う事ではなく、実際には3男である。

1156年の保元の乱では、由良御前の実家である熱田大宮司家も、源義朝に軍勢を送って加勢している。
保元の乱には、相模の横山党である波多野義通、海老名季貞なども源義朝軍に加った。

1158年、由良御前の子である源頼朝は、熱田大宮司家と縁深い、統子内親王の立后にあたり皇后に仕える事となり「皇后宮少進」に任命された。
翌年1159年2月に、統子内親王が女院号宣下されると、源頼朝はその蔵人(秘書)に任命されている。

由良御前は、同年である1159年3月1日に死去。
1159年12月になると「平治の乱」が勃発し、13歳になった源頼朝も初陣を果たすが、源義朝は平清盛に敗れて、1160年1月に家臣の裏切りで殺害された。由良御前が亡くなってから1年経たない間での出来事であった。


その後、皆様ご承知の通り、源頼朝は平氏を滅亡させて鎌倉幕府を開く訳だが、源頼朝は1189年6月9日、鎌倉にて亡母の追悼のため、鶴岡八幡宮に塔を建立し、京都から導師を呼んで盛大な供養を行い、後白河院から馬や錦を贈られている。

由良御前が産んだ孫の坊門姫の血筋は鎌倉幕府将軍の藤原頼経・藤原頼嗣の他、後嵯峨天皇・亀山両天皇にも伝わっている。

熱田神宮の伝承に由良姫とあるため、由良と言う名で呼ばれているが、由良とは卑弥呼の娘の別名でもある。
熱田神宮の御祭神でもある天照大神は卑弥呼だとする説もあることから、なかなか興味深い。

 

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