源国盛とは
源国盛(みなもとのくにもり)は、平安中期の歌人で三十六歌仙のひとりである源信明の息子として生まれました。
2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では、俳優の森田甘路(もりたかんろ)さんが源国盛を演じられます。
源国盛の生母と同様に生年は不明ではありますが
‐父・源信明が天禄元年(970年)に死去。
‐藤原道長(966年生まれ)の乳母の子と言われている。
‐源国盛自身は後述する除目が行われた長徳2年(996年)以降に死去した
これらのことから、筆者の推察で大変恐縮ではありますが、遅くとも国盛は960年代には生まれていたと思われます。
また、比較的著名な兄弟には円融・花山・一条朝で讃岐・美濃・備後など各地の地方官を歴任した源通理がいました。
順当に出世街道を歩むものの…
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国盛が歴史の表舞台に登場するのは永延元年(987年)の正月に常陸介に任官された時です。それ以前も時期は不明ですが、但馬守の役職にありました。
永祚元年(989年)には讃岐守に任ぜられ、国盛は受領ないしはそれに準ずる重職を歴任し、無事に勤めあげていきます。
この栄達の背景に、父が従四位下、兄弟の通理が正四位下を賜ったことや、道長の乳母子と言う後ろ盾があったかどうかは不明ですが、国盛はこれと言った問題もなく政界で生きていました。
しかし、彼に最大の悲劇が迫っていました。それこそが、長徳2年の正月に行われた除目です。
越前守の地位を失い、失意のうちに死す
この年、国盛は従四位上・越前守を拝命し、本来ならば彼はこの豊かな大国へと赴任するはずでした。
しかし、国盛と同じく越前守を切望していたにも関わらず、最下等の下国である淡路守にしかなれなかった藤原為時が一条天皇に自らの辛い境遇を漢詩に託して訴えたため、状況が一変します。
“苦学寒夜、紅涙霑襟、除目後朝、蒼天在眼”
この有名な漢詩を見た一条帝はとても感動すると同時に深く悲しみ、その様子は床に入って泣き、食事すら喉を通さないほどだったと言われています。
更には乳兄弟と言うべき道長までもが天皇に同調し、国盛に越前守を辞退させて為時を任命してしまったのでした。
この衝撃的な事件がきっかけで国盛とその家族の悲嘆は極めて大きく、国盛自身も病に倒れます。
その事を道長や一条帝が気の毒に思ったかは定かではありませんが、彼は秋に行われた除目でようやく大国の播磨守を拝命することになりました。
しかし、国盛の病状は回復せず、赴任することなく失意のうちに亡くなります。
不遇をかこつ藤原為時が漢詩の才能で大逆転した事(唐人への対応で漢文に長けた為時に変更されたとする説もあり)で知られるこの逸話ですが、国盛からすれば道長の横やりで役職を為時に奪われ、天皇までもがその人事を積極的に推し進めたともあれば、もはや万事休すと言うべき状態でした。
この逸話は紫式部の父である為時が朝廷の人々の心を動かした感動的なエピソードとしても有名ですが、その熾烈なる出世競争の陰で敗者として追いやられて一生を終えた人物がいたことは否めず、それも含めて当時の様子を読み解く一助となればと思い、執筆させて頂きました。
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参考文献
歴史人
平安時代の大隅・薩摩
『日本古典文学全集35~38 今昔物語集』 小学館
(寄稿)太田
・大田先生のシリーズを見てみる
・藤原道長の何がすごいのか?わかりやすく解説【光る君へ】
・藤原為時の解説【光る君へ】漢詩の才能に長けた紫式部の父
・まひろの友人「さわ」と言う親友は平維将の娘か?【光る君へ】さわの実在に迫ってみた
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