別所賀相 (別所吉親)~鷹尾山城主として





 別所賀相(別所吉親、べっしょよしちか)生年不明~1580年1月17日

 赤松政則の重臣で三木城主・別所就治の2男。
 兄に別所安治、弟に別所重棟がいる。

 正室は畠山政国の娘で、男も目をみはるほどの剣の達人で、馬術にも優れていたと言う。
 子に別所吉成の他男子2人、女子1人がいる。

 官位は山城守で鷹尾山城主。

 兄・別所安治が亡くなった後は、弟の別所重宗と共に甥の別所長治の後見を務めた。

 播磨に織田信長の家臣・羽柴秀吉が進出すると、別所長治は織田信長に臣従した。



 しかし、代理で出席した別所賀相は、加古川での会談で羽柴秀吉と衝突。
 三木城に戻った別所賀相は、織田信長と手を切り、毛利方に属するべきだと説き、別所長治は織田信長に反旗を翻した。

 この時、織田信長の実力を充分承知していた、弟の別所重棟(別所重宗)は出奔し、浪人している。

 別所長治らは三木城に約2年籠城し、羽柴秀吉勢と戦ったが、1580年、羽柴秀吉は当主・別所長治と弟・別所友之、別所吉親ら3人の切腹で城兵を助けるという条件で降伏勧告した。

 しかし、この降伏勧告に別所吉親は大反対して、潔く自害するのではなく、城に火を放って焼け死にし骸骨を隠し、晒し者にされるのを防ぐと言い、そして自分の屋敷(城郭続きの新城)を放火した。
 これに激怒した城兵は、別所賀相 (別所吉親)を殺害して、のち首を安土城に届けたと言う。

 鎧を着て女武者として戦っていた別所賀相 (別所吉親)の正室・畠山政国の娘は、髪を洗い香を焚(た)き、白の小袖に練りの単(ひとえ)の絹衣、子どもたちにも白い小袖を着せて、先祖伝来家宝の具足などが並ぶ前に正座させ、3人の子(男子2人・女子1人)を次々と刺殺し、最後は自分の喉元を刺して自害。(享年23)。

 子の別所吉成だけは生き延びて、孫の別所成忠を経て、曾孫の別所成光の時に磯野姓を名乗ったとされる。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!


関連記事



コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。



気になる戦国女性

  1. 千姫(せんひめ)は、徳川秀忠とお江の長女として、1597年4月11日に伏見城内の徳川屋敷で産まれた。…
  2. 淀殿をご紹介する記事では、できる限り中立的な立場にて記載したつもりですが、父・浅井長政や、母・お市の…
  3. 小少将 小少将(こしょうしょう)は女性の名前であるが「通称」であり、本当の名前ではありません。…
  4. 常高院(じょうこういん)・浅井初(お初、於初)は、1570年に小谷城にて生まれた。 父は小谷城主・…
  5. 早川殿(はやかわどの)は、早河殿とも書きますが、今川氏真の正室になった女性です。 NHKの2017…

人気の戦国武将

  1. 徳川家康
    徳川家康(とくがわいえやす)は、戦国大名で、征夷大将軍となって江戸幕府を開いた戦国三英傑のひとりです…
  2. 5歳の時に疱瘡に掛かり、一命は取り留めるものの右目を失った梵天丸。 米沢にて虎哉和尚や片倉景綱に鍛…
  3. 真田丸(さなだまる)とは、真田幸村が築いた大阪城の出城の名称である。 大坂冬の陣に参加して欲し…
  4. 1535年7月23日、伊作城(本丸を亀丸城と呼ぶ)にて島津義弘(しまづ-よしひろ)が誕生。父は島津貴…
  5. 北条氏康(ほうじょう-うじやす)は、小田原北条氏の第2代当主・北条氏綱の嫡男として1515年に生まれ…

メールでお知らせ

新規記事追加をメールで受信

ページ上部へ戻る