岐阜城の麓にある織田信長の館跡周辺ですが、一部は現在も発掘調査が行われていました。
夕闇が迫って来たため、すべて撮影できる事ができなかったのですが、一部写真を掲載したいと存じます。
上記の絵図からすると、岐阜城には様々な施設があったようです。
特に麓には4層とも見える立派な「御殿」があったようで、そこが通常、織田信長や濃姫が生活した場所だと考えられます。
宣教師のルイス・フロイスが岐阜城を訪れた際「ヨーロッパやインドの建築物に比べると、見劣りするだろう。あなたに見せるか躊躇(ちゅうちょ)したが、わざわざ遠くから来たのだから私が案内しよう」と言い、織田信長自ら岐阜城内を案内したと言います。
もちろん、岐阜城内は一般の兵士は立入禁止でもあったため、フロイスは特別な扱いを受けたようです。
庭園は「剛」「静」「雅」のコンセプトによってつくられたそうです。
フロイスの記録によると、建物の1階には、絵画や屏風で装飾された約20の部屋があり、廊下の外には4~5か所の庭園があった。
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2階は女性たちの部屋で、1階よりも美しい内装が施されていた。
3階は山と同じ高さになっており、茶室が付いた廊下があった。
4階は、3階と同様に正面からは城下町を見ることができ、高価な宝物庫と茶室があった。
と記しています。
そのため、麓にも天守のような建物があったとされています。
しかし、発掘調査から、実際には、段々畑のように階段状に整地した土地に、4層からなる複数の建物を合体させたような建物群であったことが判明しています。
生活に欠かせない井戸も残されていました。
以上、時間が無く今回これだけの写真でしたが、物足りないので、いつの日か再び岐阜城に訪れたいと思います。
最後までご覧頂きまして、誠にありがとうございました。
コメント
コメント ( 2 )
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資料館行かれましたか?
お子様も喜ぶおひめさま体験が無料で出来ますよ(^○^)
ジオラマがあったりして充実しているので是非から!
こちらもコメントありがとうございます。
簡単に申し上げますと、岐阜城、日没につき見学不十分のため、また登城したいと存じております。(^-^)