上条政繁 出自に関して謎が多い上杉家の重臣

上条政繁

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上条政繁(じょうじょう-まさしげ)は、上杉定実の子として1553年?(1545年?)に生まれました。
この上杉定実は、越後国守護で越後上杉家8代当主の上杉定実ではなく、琵琶島城・八条上杉家の琵琶島氏である上杉定実のようですが、養子になったとも推測できます。
ただし、父は上杉房実、畠山義隆(畠山義綱の弟)とする説もあり、正直な所、不明です。
幼少期より上杉家に人質として出されていた畠山義春(はたけやま-よしはる)が、上条政繁本人だとも、上条政繁の養子になったのが、畠山義春とも言われます。

ただし、最初は上条景義と称しています。
この場合「義」の字は、能登・七尾城の畠山氏の通字であることや、のち畠山家の子を養子にしたことも踏まえ、畠山義春とは別人だとしても、畠山一族が出自のような気が致します。

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上条上杉家は、長尾為景と敵対しており、没落し廃絶となっていました。
そのため、1571年に、上杉謙信が、同じく没落していた上条上杉家を上条政繁に相続させたと考えられますが、武勇もあったようでしたので、気に入られたのでしょう。
1545年生まれだとすると、27歳の時となります。

1575年の天正三年上杉家軍役帳によると、越後・上条城の上条政繁は上杉家の一門で、4番目の勢力を誇っていました。
正室は長尾政景の娘ですが、上杉景勝の妹となります。

その後、1577年に上杉謙信が能登を平定しますが、畠山家の遺児・畠山義春を養嗣子に迎えたとする説の場合には、この時になります。

なお、上条政繁は上杉謙信が死去した前後(1577年~1580年)に出家(入道)して、上杉宜順と号しました。
御館の乱では上杉景勝に味方して、勝利に貢献しますが、一時、居城の越後・一条城を、上杉景虎(北条三郎)勢に奪われています。

越後・上条城

こうして、上杉景勝のもとでは重臣として最も多難な時期を支えました。

1581年、越中・松倉城の河田長親が死去すると、織田勢に攻められていた松倉城を守備しました。

天正12年(1584年)、上杉家から羽柴秀吉に人質を送る際には、当時、上杉景勝に実子がいなかったため、孫(畠山義春の子)の畠山義真を、上杉景勝の養子として送り、代償として軍役を免除される事になりました。

また、信濃・海津城の山浦景国が失脚すると、後任として海津城に入りました。
しかし、翌1585年に、須田満親が海津城主となったため、上杉景勝と次第に対立するようになります。
直江兼続と対立したのが原因である可能性もあるでしょう。


そして、天正14年(1586年)上杉家を出奔します。
上洛する上杉景勝に随行していたところ、宿泊した越前・敦賀から離れて豊臣秀吉を頼りました。
そして、河内国高安郡津田・保谷に500石を与えられています。
まもなく、上条政繁は没したようで、畠山義春(はたけやま-よしはる)は、1590年には、摂津国豊嶋郡に300石を加増され、朝鮮攻めでは肥前・名護屋城に在陣しています。

1500石となり、関ヶ原の戦いでは、徳川家康の軍勢に加わり、小山軍議にも参加し、福島正則加藤嘉明と相談の上そのまま東軍につきました。

大坂夏の陣のあと、畠山義春は畠山姓に復しますが、次男・上杉長員(うえすぎ-ながかず)は母が上杉景勝の姉妹であり、上杉家にも大恩があったことから、そのまま上条姓を称しています。
畠山義春は高家として、上杉長員は旗本として徳川秀忠に従いました。

御館の乱 上杉謙信死後の壮絶な跡継ぎ争い
越後・上条城 上条上杉家や上条政繁の居城
長尾為景 二度主を殺した「奸雄」謙信の父
栃尾城 越後の龍・上杉謙信「旗揚げ」の山城

 

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