伊達政道とは 独眼竜・伊達政宗と骨肉相食んだ実弟

伊達政道


伊達政道(だて-まさみち)は、伊達輝宗義姫(保春院)の次男として生まれました。
長兄に伊達政宗、姉妹に千子姫ら2名(3名とも同母)、腹違いの兄弟として秀雄と言う男子が記録されています。

幼名を竺丸(じくまる)、通称の小次郎で知られる政道の生年には永禄11年(1568年)・天正2年(1574年)・天正6年(1578年)と諸説あり、はっきりとした生年が分かっていません。
なお、当時の資料において彼が政道を名乗った証拠を示すものは残されておらず、後世になって建立された金上盛備の墓碑(それによると『正道』)に刻まれているなど不明確な点が存在します。


この政道は、母・義姫に深く愛されたことでも知られており、理由は兄の政宗が天然痘で隻眼となって醜くなったからとも、母方の実家に当たる最上氏と諍いを起こしたからとも言われています。

そうした愛憎劇から来る御家騒動は、天正12年(1584年)に輝宗から政宗へと家督が譲られ、穏便な形で政権が委譲されることで回避されます。
伊達氏の後継者レースから外れてしまった政道でしたが、会津蘆名氏から後継者として迎え入れようとする動きがありました。
政道兄弟の祖父・伊達晴宗は蘆名盛高の外孫であり、すなわち政道は盛高の玄孫にあたり、伊達と蘆名は縁戚でもありました。

しかし、佐竹氏との関係強化を進めた蘆名氏は政道を迎える約束を履行せず、そのために伊達氏との争いの一因となっており、後に政宗は豊臣秀吉に対して蘆名を討伐した理由としてこの事件を挙げています。
天正15年(1587年)、蘆名氏内部で後継者争いが再燃すると政道は跡取りとして推挙されます。
しかし、蘆名氏の執権・金上盛備による妨害工作により、政道ではなく佐竹義重の息子である義広が蘆名を継いだのです。

名門・伊達氏の御曹司にして、最上氏出身である母の後ろ盾を得た身でありながら不遇をかこち、兄政宗との不穏な空気を払拭しきれなかった政道は、3年後の天正18年(1590年)に急死します。
もっとも流布した説としては義姫と政道に毒殺されかけた政宗によって殺害されたというものです。

しかし、この説は江戸期に書かれた史書『伊達治家記録』に記されているものであり、後世に作られた逸話だとする説も存在しています。
また、政道は政宗によって7代にもわたる勘当処分を受け、その期間は203年後の寛政5年(1793年)に8代藩主斉村によって許されるまで続きました。その際に政道の法要が営まれており、政宗と後継を争った彼は、死後までも冷遇措置を受け続けました。


なお、政道は大悲願寺(東京都あきる野市)の15世住職、江戸中野宝仙寺の14代法印になった末弟の秀雄と同一人物で、没年から52年後の寛永19年(1642年)までも長寿を保ったとする説も存在します。
伊達政道は、名将独眼竜にして仙台藩祖として名高い政宗の弟でありながら、生年や正式な名前と同様に最期に至るまで今もなお不明瞭な部分が多い武将です。

(寄稿)太田

伊達輝宗とは~伊達家の行くすえを政宗に託した名君
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