藤原道兼とは
藤原道兼(ふじわら の みちかね)は平安時代中期の公卿で961年生まれ。
2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では俳優の玉置玲央(たまおき れお)さんが藤原道兼の役を演じられる。
父は摂政関白太政大臣になった藤原兼家で、その3男。
母は藤原時姫。
兄弟に長兄・藤原道隆、藤原超子、藤原道綱、藤原詮子、藤原道義、藤原道長、藤原綏子、藤原兼俊がいる。
同じ母(藤原時姫)が産んだ妹が藤原詮子で、弟が藤原道長と言う事になる。
スポンサーリンク
984年、15歳ほど年上の妻・藤原繁子(藤原師輔の娘)との間に藤原尊子を儲けている。
984年、花山天皇が即位した際に蔵人左少弁。
花山天皇が寵愛していた女御・藤原忯子が死去すると、藤原道兼は元慶寺(花山寺)の厳久らと出家を勧めている。
986年、父・藤原兼家の策略により藤原道兼は花山天皇を内裏から抜け出させ山科の元慶寺まで案内し出家させた。
そして、幼い懐仁親王が即位して一条天皇となり、父・藤原兼家が摂政に就任した。
最大功労者である藤原道兼は参議へ昇進。
987年には従二位・権中納言になった。
妻は藤原遠量の娘、藤原繁子(藤原師輔の娘)、藤原国光の娘。
990年、父・藤原兼家が死去すると、後任の関白には長兄・藤原道隆が就任したので、藤原道兼は恨んだと言うが昇進は重ね、994年には右大臣になった。
また、粟田山に別荘を造営したことから粟田殿とも呼ばれている。
長徳元年(995年)、関白・藤原道隆が重い病気になると、後継の関白には嫡男・藤原伊周を望んだが一条天皇は許さない。
そんな中、関白・藤原道隆が死去すると藤原道兼が関白宣下を受けた。
ところが、すぐに藤原道兼も病に倒れ、就任の奏慶後、僅か7日で死去したもされる。享年35。
そのため「七日関白」「粟田関白」(あわたのかんぱく)とも呼ばれる。
スポンサーリンク
なお、宇都宮氏が藤原道兼の後裔を称している。
紫式部の娘・藤原賢子は、関白・藤原道兼の次男・藤原兼隆と結婚し、1025年に親仁親王(後冷泉天皇)が誕生すると乳母を務めている。
・藤原兼家をわかりやすく2分で解説【光る君へ】権力争いに勝ち摂政を手に入れた藤原道隆と藤原道長の父
・藤原時姫を分かりやすく1分で解説【光る君へ】全盛期を築いた藤原道隆や藤原道長の母
・藤原道隆をわかりやすく2分で要点解説【光る君へ】藤原道長の兄
・藤原伊周をわかりやすく1分で要点解説【光る君へ】美青年で優秀も藤原道長に敗れた若きエリート
・藤原道綱をわかりやすく1分で簡単解説【光る君へ】字を読めなかった公卿?
・藤原繁子をわかりやすく1分で解説【光る君へ】懐仁親王(一条天皇)の乳母
・藤原道長の何がすごいのか?わかりやすく解説【光る君へ】
・光る君へ【キャスト・出演者一覧リスト】NHK大河ドラマ2024年
コメント
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。