藤原道綱とは
藤原道綱(ふじわら の みちつな)は、平安時代中期の公卿で955年に生まれた。
2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では俳優の上地雄輔さんが藤原道綱の役を演じられる。
父は摂政関白太政大臣になった藤原兼家でその次男。
母は藤原倫寧の娘(藤原道綱の母)で、蜻蛉日記(かげろうにっき)の作者として有名。
兄弟に長兄・藤原道隆、藤原超子、藤原道兼、藤原詮子、藤原道義、藤原道長、藤原綏子、藤原兼俊がいる。
兄・藤原道隆と弟・藤原道長を産んだのは正妻扱いの藤原時姫だったため、藤原倫寧の娘が母だった藤原道綱の出世は遅れた。
991年(正暦2年)、藤原道綱は参議になったが、異母弟の藤原道兼・藤原道長はすでに権大納言(ごんだいなごん)になっている。
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藤原道綱の妻は源雅信の娘、源広の娘、藤原季孝の娘、源頼光の娘、源満仲の娘。
子に道命、斉祇、藤原兼経、藤原兼宗、藤原豊子(宰相の君)らがいる。
特筆すべきは、化け物退治の勇猛果敢で知られる、摂津源氏の祖・源頼光の娘を側室にしていると言う事。
その源頼光の父・源満仲の娘や、敦実親王の子・源雅信の娘(中の君)も妻にしていることから、藤原氏を軍事面で支えた源氏と強い結びつきを感じる。
ただし、競争相手の藤原実資の日記『小右記』などから、藤原道綱は父や兄弟に見られるような政治家としての能力が不足していたようで、自分の名前は読めるが、文字が満足によめないなどの悪評がある。
となると、どうやって妻となった女性らと交際するのに、和歌をどうやって読み書きして贈ったのだろうか?気になる・・・。
と言う事で少し調べてみた。
なんでも、藤原道綱は父親に代作・代筆を依頼していたようだ。
藤原道綱の母は「蜻蛉日記」を残しただけでなく、勅撰集に36首も採用された和歌の名人である。
986年、花山天皇を出家させた寛和の変では、長兄・藤原道隆と共に清涼殿から三種の神器を父・藤原兼家の邸宅に運ぶなど、父の摂政就任に貢献し、正五位下から従三位に昇進し公卿に列した。
その後、鷹司殿(源雅信の娘)を正室にしていた異母弟・藤原道長が実権を握ると、妻同士が姉妹だったこともあり権勢の恩恵を受け、997年、正二位・大納言。
和泉式部は藤原道綱のことを「あわれを知れる人」と詠んでおり、おっとりとした性格だとも伝わる。
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1011年(寛弘8年)、三条天皇が即位すると中宮大夫、そして皇太后宮大夫となった。
1020年、藤原道綱は病が重くなり出家後に死去。享年66。
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