三田綱秀と笛姫の悲劇~武蔵・勝沼城主





三田綱秀(みた-つなひで)は勝沼城主であるが、その前に三田氏について簡潔に記載することが始めたいと思う。
武蔵国の青梅地方・約9000石を領した三田氏は、古代豪族・壬生氏の子孫であると言う説や、平将門の子孫とする説もあるが、戦国期には関東管領・山内上杉家に属していた。
長享の乱の時は、長尾能景が扇谷上杉家から奪い取った椚田城(初沢城)の城主を三田氏宗が任されている。

1546年、川越城の戦いにて北条氏康に大敗した山内・上杉憲政平井城へ敗走。
そのため、三田政定は北条家の軍門に加わった。



1491年には、三田政定の子・三田綱秀(三田弾正少弼綱秀)が誕生したとされる。

1561年、上杉政虎(上杉謙信)が、上杉憲政を奉じて関東へ侵攻した際には、三田綱秀は北条家を見限り、上杉家に従って各地を転戦し、小田原城包囲にも加わっている。
その後、関東諸将の多くは北条家に従ったが、三田綱秀は北条氏康と対立した。

1563年、滝山城主・北条氏照が攻めてくると、防衛に向いている辛垣城(からかいじょう)にて籠城した。

北条氏照(北條氏照)は梅ヶ谷峠を通過して、多摩川を挟んで袖木町にて三田勢と対陣。
三田勢は辛垣城と、枡型山城の麓にある海禅寺を前線として、多摩川対岸にて防戦態勢を取った。
そして、軍畑で激戦となり、兵力で圧倒する北条氏照は、三田勢を辛垣城へと敗走させた。
軍畑には史跡として鎧塚がある。

北条氏照が三田80騎の辛垣城(唐貝城)を攻撃すると、当時、まだ貴重だった鉄砲を1挺だけ三田家が所有しており、応戦したと言うが、北条家に内応していた、塚田又八が辛垣城に火を放ち落城。
三田綱秀は岩槻城主・太田資正を頼って落ち延びた。
しかし、1564年に太田資正が岩槻城から追放されるに至り、三田綱秀は自刃したと言う。享年73。

三田綱秀の子は家臣に託されたが、嫡男・三田十五郎は1563年に没し、次男・三田喜蔵は1564年に死去したとされるが、詳しい事はわいらない。
他に三田五郎太郎という子がおり、1572年に伊豆にて自決したと言われている。

北条氏照の傘下となった勝沼城は、三田家臣の旧臣で三田家一族とされる師岡将影(師岡山城守将影)が城主となり、師岡城とも呼ばれている。

二俣尾の海禅寺が三田家菩提寺であり、三田氏の供養塔と、三田綱秀の首塚がある。

1612年の江戸時代に書いたとされる、三田家遺臣の太郎重久信の日記には、落城の際に三田綱秀が詠んだ歌が掲載されている。
「からかい(辛垣)の南の山の玉手箱、あけてくやしき我が身なりけり」

南の尾根には「枡形山城」があり、そこに一発勝負の部隊を潜ませていたが、その枡形山城が北条家に早々と降伏したため、悔しいと詠んだとも受け取れるのではないだろうか?

辛垣合戦と笛姫物語

辛垣城の戦いにまつわる伝承をご紹介したい。

辛垣城で抵抗していた三田綱秀は、もはや落城は避けられなくなり、孫や子供を逃がす。
笛姫と言う笛の上手な、三田綱秀の孫娘には、家宝の笛を1本授け、笛吹川の山里に隠れて、時が来るまで待つようにと逃したと言う。
しかし、三田綱秀は武運つたなく自刃して果て、三田氏は滅んだ。

ある日、鷹狩りにやって来た北条氏照は、笛吹川を上ってくると、いずこともなく妙なる笛の音が聞こえて来たと言う。
実は、北条氏照も笛の名手として知られており、笛の主は只者ではないと思って確かめた。
すると、なんと美しき若い娘であり、聞くとあの三田綱秀の孫娘であると言うので驚く。

こんな娘を山里に置くには忍びないと、北条氏照(北條氏照)は滝山城へ連れてゆくと決めたが、笛姫も仇敵である北条氏照と知って動揺するも、命に背く事はできず、乳母・おまきと共に同行した。

隙があれば仇を討とうと考えていた笛姫は、北条氏照に笛を所望されたある晩に、酒を飲んで酔っている北条氏照に懐刀を抜いて斬り掛かったと言う。
しかし、なんなくかわした北条氏照は、本来であれば笛姫を処刑するところを逆に、以前より増して優しく接したとされ、それ以来、笛姫と北条氏照は親しく、共通の趣味である「笛」を楽しむ間柄になった。

ところが、これを知った北条氏照の正室・比佐が、ひどく嫉妬する。
ある日、北条氏照の館から帰る笛姫を待ち伏せて、持っていた懐剣で笛姫の胸を一突きに殺してしまったのだ。

笛姫の悲運を知った北条氏照は、嘆き悲しんだとされている。

北条氏照に関してはこちら
関東管領の上杉憲政とは~平井城と平井金山城
谷保の城山(三田城、三田氏館跡、谷保城)【東京都国立市】
武蔵・勝沼城 三田氏の本拠地
辛垣城 三田氏滅亡の辛垣城の戦い

高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査・研究している歴史人物研究家です。
自慢できるものはありませんが、資格は史跡訪問のための国内旅行地理検定2級、水軍研究のための小型船舶操縦士1級など。

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