戦国伝 石田家 完全攻略 信長の野望「創造」 パワーアップキット

信長の野望 創造 攻略法




信長の野望「創造・パワーアップキット」での石田家に関する「戦国伝」の内容です。

関ヶ原の戦い

シナリオでスタートする場合には「関ヶ原の戦い」にて石田家を選択すると戦国伝がスタート致します。

1600年「関ヶ原の戦い」シナリオを、石田家で開始すると、早々に長いムービーとなります。
徳川家康上杉景勝に臣従を求めますが、直江兼続が「直江状」で釈明すると言う内容ですね。
そして、ついに徳川家康が、上杉征伐の軍を発し、石田三成毛利輝元を総大将として、大谷吉継宇喜多秀家小西行長らと挙兵し、小早川秀秋も15000と言う大軍を率いて参陣しますが・・。
しかし、豊家、豊家と、テロップにでるのですが、これって間違え?ですかね?

まずは「伏見城を落城させる」です。
伏見城は京都なので、室町御所や二条城の場所が、そのまま伏見城と表示されています。
なお、石田家は「九箇条掟書」と言う、お得な政策を実施できますので、政策からポチッとしておきましょう。
資金が乏しいようにも感じましたが、まずは、大和郡山城岸和田城、八上城、そして槇嶋城から軍を出してみました。
そして、伏見城を包囲している途中で、またムービーが開始されました。
石田三成が諸国の妻子を人質に取ろうとしましたが、黒田官兵衛の妻・光姫らが逃亡して、細川忠興の妻・細川ガラシャが散ります。
伏見城の方は、史実であれば、徳川家康の家臣・鳥居元忠が僅かな兵にて籠城して討死していることからか、敵軍は野戦には出ず、包囲するだけで落城させる事ができました。



次は「石田三成と島左近大垣城で機を待つ」です。
「配属」→「呼寄」にて、大垣城に石田三成と島左近を呼び寄せます。
奪った伏見城にも誰か入れておくと、兵を動かすことができるでしょう。
あと、遠隔地で操作できない鳥取城洲本城などがあるので、優秀な武将を送って「軍団」を新設しておきました。これで、イザと言う時には駆けつけてくれるかもしれません。
更に、待ち構える決戦に備えて、兵士が増えたり、連合が強化されるような政策をONにしておくと良いですね。
また、念のため、関ヶ原付近の味方勢力である織田家や丹羽家に工作で信用度を上げ、また、国人衆の支持率も上げておきました。
ここで1回、セーブしておくと良いです。
石田三成らが大垣城に到着すると、大谷吉継から関ヶ原の布陣を提案されて、イベント合戦を行うか? 聞かれますので「はい」を選択します。
すると「関ヶ原の決戦に臨む」達成となり、井伊直政が抜け駆けして戦いが始まるムービーとなり、大合戦画面に移ります。

しかし、大合戦画面での戦闘、私は苦手です。
東軍の4部隊撃破する前に、小早川秀秋が裏切るムービーとなって、大谷吉継が討死してしまい、失敗に終わってしまいます。

2回目に頑張って、積極的に乱戦してみましたら、途中で、島津義弘が後詰(援軍)してくれました。うれしいですね。
どうやら、1つでも早く東軍の部隊を敗走させると、続々と援軍が現れるようで、まごまごしていると、東軍の援軍が来てしまいますので、どうやらスピード勝負が必要なようです。
そして、長宗我部元親も、腰を上げて戦場に出てきました。
こうしてなんとか「東軍を4部隊撃破する」を達成。

そうしたら、小早川秀秋が徳川家康を討つと言いだしてきましたよ。ここでかよ? ズルイな~。
残すクリア条件は「徳川家康を撃破する」なのですが、さすが徳川家康は兵力もあって、手ごわいです。
既に石田三成の兵力は600まで低下しており、小早川秀秋の16000が加わっても、さすがに兵力差はいかんしがたく、う~ん、勝てない・・。

やはり、石田三成にとって関ヶ原は無謀だったのか?

コツとしては、弓攻撃で兵力の少ない敵部隊に2~3部隊を当てて集中攻撃すると良いみたいです。
兵力の大きな敵部隊が横槍してきても、無視しして、弱い部隊を早く敗走させます。

徳川家康相手の場合、できる限り丸く囲むように一斉に近づいて攻撃開始すると良いです。
ただし、石田三成勢が敗走すると負けなので、石田三成なども含めて、1000以下まで兵力が落ちたら、自動で敗走する前に、戦場に隅に後退させて待機させるような方法を取ると良いみたいです。

引き続き頑張ってみて、勝てたら追記ご報告申し上げます。
皆様も、頑張ってください~。

1分でわかる関ヶ原の戦い

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コメント

    • 諸葛亮
    • 2017年 2月 09日

    豊家というのは文字通り豊臣家のことなので、別に間違いではありませんよ(^^)
    ちなみに…関ヶ原で弁当を食べていたのは毛利勢かと…

    • 高田哲也
    • 2017年 2月 09日

    諸葛亮さま、コメントありがとうございます。
    ご指摘、誠に恐れ入ります。
    なるほどです。
    弁当の件はご指摘の通り間違っていましたので、外しました。
    この度は、誠にありがとうございました。
    深く御礼を申し上げます。

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