平貞文とは
『源氏物語』の作者である紫式部を主役に、大河ドラマ『光る君へ』が2024年からスタートしますが、『源氏物語』の主人公である光源氏に勝るとも劣らぬ才覚と美貌で恋と歌に彩られた生き様を誇る貴公子が平安期の日本に実在しました。その貴公子こそ、本項で紹介する大歌人・平貞文(たいらのさだふみ、さだふん)です。
平貞文は貞観2年(872年)に桓武天皇の曾孫に当たる好風王(後に平好風と改名)の次男として生を享けたと言われています。貞文には兄と弟がいたと言われますが好風の妻である母と共に名は不明で、兄弟順と姓から平中(へいちゅう、へいじゅう)と呼ばれていました。
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貞文が歴史の表舞台に登場するのは貞観2年生まれ説を採用すれば、何と生後2年目に当たる貞観4年(874年)で、それまで皇族であった父王と共に臣籍降下して平朝臣の姓を賜っています。宇多天皇の御世では寛平3年(891年)に内舎人を拝命し、2年後には右馬権少允に登りました。
歌をこよなく愛し、実務もこなしたエリート官僚
続く寛平9年(897年)には右兵衛少尉になっていますが、ここで注目したいのが右馬権少允、右兵衛少尉はいずれも武官であり、ややもすれば貞文=皇族の血を引く優美な歌人というイメージが強いですが、朝廷の軍務にも精力的に携わる官人だったことを今に伝えています。
無論、貞文は歌人としても非常に優れた才能を発揮しており、多くの歌人と交際して延喜5年~同6年(905~906年)に開催された『貞文家歌合』に代表される歌合の主催者を務めました。そのメンバーも『古今和歌集』の撰者にして『土佐日記』の作者として名高い紀貫之を始め、壬生忠岑、凡河内躬恒、在原元方などの著名な歌人がおり、自らも一流歌人だった彼の周囲には文化人のサロンが形成されていたことが伺えます。
『定文家歌合』を開催した延喜6年には従五位下、延喜10年(910年)に三河介、その3年後には侍従に昇格しており、この頃は武官職のみならず地方の行政にも関わっています。その後も貞文は順当に昇進していき、延喜17年(917年)に右馬助、延喜19年(919年)に左兵衛佐、延喜22年(922年)の正月には従五位上にまで登り詰めます。その翌年に三河権介をも兼任することとなりますが、その年の9月27日に貞文は死去します。貞観2年生誕説をとれば51年の生涯で、生母は不明ですが安快・時兼・時経・信臣の4人の息子を儲けていたと言います。
不朽のプレイボーイ伝説を残す
ここまで紹介したのは、平貞文の文化人・政治家としての事績です。しかし、彼の名を後世まで残したのは何と言っても恋多き人物としての一面であり、これからは説話を交えて紹介していきます。
貞文は風雅を解して情趣ある恋愛を重視した平安期にもてはやされた“色好み”の代表格である在原業平(奇しくも同じ桓武天皇の系譜)と共に“在中・平中”と称されました。しかし、業平が主に風雅の面に才能を発揮した“色好み”として見られるのと違い、貞文は現代の私達がイメージする“色好み”すなわち色恋を非常に愛好した人物として伝説を残しています。
一般的に歌物語『平中物語』の主人公として貞文は有名ですが、『古本説話集』では対して思い入れがない女を相手にする時に嘘泣きをするための硯瓶、良い香りをさせるために食べる丁子を持ち歩いているのが妻にばれるコミカルな存在として描かれます。女のもとに通う際の持ち物の中身を墨とねずみの糞にすり替えられ、結果として平中の顔は真っ黒になって大恥をかき、口の中は気持ち悪くなると言う大失態をやらかしてしまうのです。
『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』でも平中の名で貞文は活躍し、同時代の色好みで知られた藤原時平に業平の孫に当たる美女がいるという情報を教え、時平は謀略を駆使してその美女(実は伯父に当たる国経の妻)を奪うと言う事態に発展します。中でも著名なのは本院侍従と呼ばれる美女にいれあげたエピソードで、侍従をものにしようと貞文が挑戦するものです。
恋文を見たと言う返事を欲しいとしたためれば“見た”と書いたところだけが切り貼りされて送り返され、恋焦がれて彼女のもとに忍び込めば隔ての障子の掛け金をし忘れたのを理由に逃げられ、悔しい思いをさせられます。彼女をどうしても嫌いになってやると奮起した貞文は、侍従に仕える召使いの女の子が泣くのも構わず侍従が用を足した排便用の箱を奪い取り、汚物を見て嫌いになろうとしました…が、その中身は非常に香ばしく、良い味さえするのです。
これは人に見られるのを予測した侍従が、香料や甘味料などを用いてあらかじめ仕込んでおいた偽の排泄物で、その賢さと心配りに貞文は悶々としてしまいます。『宇治拾遺物語』では若き日の失敗談ですが、『今昔物語集』によると貞文は狂死してしまうとされており、その好色ぶりが強調されています。
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最後に、貞文の恋物語は2024年の大河ドラマ『光る君へ』の主人公・紫式部が書き記した『源氏物語』でも紹介されており、この恋多き大歌人の物語がどのように関わってくるかは不明ですが、当時の恋物語を楽しむ上での一助ともなれば筆者としては無上の幸いです。
(寄稿)太田
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