伊東祐堯~日向伊東氏の中興の祖とされる名将

伊東祐堯

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伊東祐堯(いとう-すけたか)は、日向伊東氏6代(伊東氏11代)当主で、父は伊東祐立とされますが、伊東祐武の子とする説もあります。
生年は1409年です。

文安元年(1444年)に、上洛途中の伊東祐立が播磨・疣河(いぼかわ)の渡しにて落馬して亡くなると、36歳で家督を継ぎました。

このとき、伊東祐立の家督を継ぐ予定の嫡男・伊東祐家を、家督奪取を目論んだ弟(3男)・伊東祐郡が殺害すると、この不義を家臣が認めず伊東祐郡は肥前に逃れたため、その結果、次男の伊東祐堯が擁立されたとされています。(諸説あり)
そして、伊東祐堯は土持氏の娘を正室に迎えました。

都於郡城主・伊東祐堯は、反抗的な一族を討伐していきますが、島津家に内応した宮崎城の曽根氏を1446年に滅ぼして、家臣の落合彦左衛門を入れています。
このような勢力拡大に、土持氏は島津家と結ぶようになり、1456年に財部城を攻撃すると小浪川の戦いにて、土持三河守金綱、黒岩備中守、黒岩肥後守、黒岩左衛門四郎、江藤丹後守、田中対馬守の父子、似田彦左衛門、野中新左衛門などを討ち取ります。
そして、翌年の1457年には、新納院土持の財部城を包囲して、土持左衛門尉影綱を討ち取り、財部・土持惟綱(土持是綱)は伊東家に降伏しました。

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このように伊東祐堯は門川城穆佐城清武城など各地を傘下に収めて行きます。

寛正2年(1461年)には京に使者を送ると、室町幕府8代将軍ろ足利義政から「日薩隅三ヶ国の輩は伊東の家人たるべし、但し島津、渋谷はこれを除く」という内容の御教書を得ました。

この頃、伊東家は島津家と友好的であり、寛正5年(1464年)には島津立久と鵜戸山で会見しすると和議を進めています。
しかし、1480年に島津氏が紫波洲崎城を攻めたため、再び敵対しました。
この頃、佐土原城に嫡男・伊東祐国を配置し、土持是綱(土持弥次郎是綱)の娘を妻にしています。

1484年、飫肥城の新納忠続が主君・島津忠昌に願い出て、櫛間城の島津久逸を伊作へ還すように仕向けます。
これに反発した島津久逸は、伊東祐堯に援軍を求めました。
そのため、伊東祐堯は嫡男・伊東祐国とともに出陣して、飫肥城を攻撃しました。
このとき、伊東祐堯はすでに体調が悪かったのか、途中の清武城に滞在していたところ病死しました。享年77。

家督は子の伊東祐国が継ぎましたが、伊東祐邑など男女合わせて25人の子がいたと言います。
リスト化しますと下記のとおりです。

女(土持堯綱の正室)
伊東祐国
女(島津立久の正室)
伊東祐邑
伊東祐英
伊東祐円
伊東祐兄
女(佐土原豊前守の正室)
伊東祐岑、
女(右松宮内少輔の正室)
伊東幻生
伊東玉阿
伊東大賢
男(出家)
一海法印
男(出家)
伊東祐具
伊東祐運
女(長倉若狭守の正室)
女(伊東美作守の正室)
女(佐々宇津近江守の正室)
女(清武三郎の正室)
女(上別府尾張守の正室)
女(清武兵部少輔の正室)
女(伊東河内守の正室)

いや~、25名全員の名前を覚えるだけでも大変そうです。

家督を継いだ伊東祐国は、翌年の1485年、飫肥城攻撃中に、島津忠昌に楠原にて討ち取られ、伊東家は混乱することになりました。

伊東祐堯の墓

伊東祐堯の墓が、清武城のすぐ近くにあります。

伊東祐尭の墓

奥の列、左からご案内してみます。

一番左は伊東祐吉の墓?
伊東尹祐の子で、1536年に宮崎城にて討死しました。

次が伊東祐国の墓ですが、伊東祐堯の子で、新納忠続が守る飫肥城を攻撃した1485年に、飫肥城の南東にある楠原にて島津忠昌に討ち取られています。

真ん中が、伊東祐国と伊東祐堯の供養塔となります。
大永4年(1524年)に建立された模様です。

その右隣が1485年に清武城にて病死した伊東祐堯の墓となります。77歳でした。

そして、一番右が伊東尹祐の墓となります。
伊東祐国の子で、大永3年(1523年)に野々美谷城を攻撃していたとき、陣中にて病死しました。享年56。

伊東祐尭の墓

墓所の手前側に向き合っているうちの左側は、宮田藤五郎の墓となります。
宮田藤五郎は、伊東義祐から伊東義益まで仕えた忠勤の武将で、1564年に討死しました。


向かって右にあるのは、宮田安芸守の墓となります。
宮田安芸守は伊東義祐の家臣で1551年の目井城の戦いて戦功を挙げています。
1562年、飫肥城の戦いのあと、飫肥城主を務めますが、島津貴久の奇襲を受け、松尾門口にて栗下加賀守を討ち取りますが、戦死しています。

清武城近くの伊東祐尭の墓がある場所は、当方のオリジナル地図にてわかるようにしてあります。
墓の入口近くにクルマを止められるスペースがあります。

都於郡城~伊東家の本拠として素晴らしい大規模な山城
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