山名祐豊 衰退した山名家を復活させるも織田に敗れる

山名祐豊


山名祐豊(やまな-すけとよ)は、但馬と備後の守護・山名致豊の子として1511年に生まれました。
しかし、山名家は守護とは名ばかりの状態となっており、翌年には「山名四天王」と呼ばれる太田垣氏・八木氏・田公氏・田結庄氏ら有力国人衆が離反する騒ぎとなり、父は弟の山名誠豊に家督を譲っています。
その傀儡となっていた叔父・山名誠豊は、1523年に山名祐豊を養子に迎えて後継者とします。
そして、1528年に養父・山名誠豊が死去し、山名祐豊が名門・山名氏の家督を継ぎ、此隅山城主となりました。


1542年、生野銀山が発見されると、生野城を大規模改修し、山麓に館を設置して鉱山経営にも乗り出し、銀山寺を建立しています。

また、1548年、同族であるも毛利についている布勢天神山城の山名誠通を奇襲し、多治見峠にて討ち取ります。
すると、因幡守護代として弟・山名豊定(やまな-とよさだ)鳥取城に送り因幡の統治を図りました。
更に、垣屋氏・太田垣氏・田結庄・八木氏ら但馬の有力国人衆を次々と制圧し、戦国大名としての立場を確立して行きました。

1560年、弟・山名豊定が死去すると、山名祐豊は長男・山名棟豊(やまな-むねとよ)を鳥取に派遣します。
しかし、1561年5月、山名棟豊も死去。(享年18)
そのため、甥で山名豊定の遺児・山名豊数を因幡守護代にしました。

また、本拠地である此隅山城の改修を行って拡張しています。

1564年、因幡の武田高信を攻めるも失敗しますが、1569年には、尼子勝久山中鹿之助ら尼子残党が出雲に侵攻するのを手助けしています。

しかし、新たな問題が起こり、1569年、織田家の家臣・木下秀吉(豊臣秀吉)の侵攻を受けるとその攻撃に耐えかねて、山名祐豊は和泉国の堺まで落ち延びました。

堺の商人らから資金を借り、また今井宗久の仲介を受けて、織田信長に千貫の礼銭を差し出し会見して織田家に臣従を誓い、1570年、但馬に戻ると本拠を、より高所となる近くの有子山城に移しました。
こうして織田家の傘下に入った山名氏は、引き続き、尼子残党に協力する形で毛利家と戦います。
しかし、戦局は一進一退で、赤井忠家に竹田城と此隅山城を占拠されると、1571年には織田勢の援軍を得て反撃に出ています。
そして、1572年にも、尼子残党と一緒に、武田高信に一矢を報いました。

1575年、織田家の明智光秀が竹田城を攻略しました。

竹田城

次いで黒井城の荻野直正を攻めますが、この時の八上城の波多野秀治が寝返って明智勢を背後から襲撃し、撃退しました。
そのため、怒った織田信長は今度は大軍を派遣させ、1579年に八上城を落としています。

そんなおり、山名家の重臣・太田垣輝延が、勝手に毛利勢の吉川元春と和睦して寝返ったことから、山名氏は織田氏を裏切ったとみなされます。
そして、1580年、織田勢の羽柴秀吉が大軍を率いて、有子山城を包囲したため降伏しました。

その降伏の5日後、高齢だった山名祐豊は死去。享年70。
但馬山名氏は断絶し没落しました。


なお、籠城中に意見が合わず、出奔した山名祐豊の3男・山名堯煕は、のち羽柴秀吉に仕えて家督を継いできます。
そのまま大坂城の豊臣秀頼にも従うと大坂の陣に参加しました。
大坂の陣のあとは、京都六条にて浪居・閑居したともされます。

此隅山城 山名氏が最盛期を迎えた本拠地
有子山城 山名氏の本拠地となる山名氏城跡
尼子勝久とは
黒井城 赤井直正(萩野直正)の戦国と春日局の誕生地
丹波・八上城 波多野稙通(波多野元清)
丹波・山垣城 武蔵国の足立から移り住んだ名門の本拠地
竹田城 日本100名城で日本屈指の山城

 

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