5分で分かる竹阿弥~未だに謎に包まれた豊臣秀長の父

竹阿弥

大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公である豊臣秀長の母は大政所(本名・なか)で、豊臣秀吉とは同母兄弟と言うことが知られていますが、実の父が違うと言われています。その父こそが本項で紹介する竹阿弥(ちくあみ、筑阿弥とも)です。

素性不明な豊臣秀長の父

豊臣秀長の実父にして後の天下人・秀吉の義父として歴史小説や時代劇などで名前が知られている竹阿弥ですが、知名度に反してその生年は明確ではありません。出自についても不明点が多く、一説には水野氏であるとも言われています。

江戸時代にまとめられた『太閤素生記』によると、竹阿弥は尾張国中々村(愛知県中村区)出身で織田信秀に仕えて芸能や雑事を司った同朋衆とされており、妻である大政所と結ばれたのは彼女が木下弥右衛門に先立たれた後に婿入りし、秀長と朝日姫(駿河御前)をもうけたとするのが、彼の来歴です。

そのことで疑問視されているのが、秀長が生まれたとされる時期が天文9年(1540年)なのに対し、弥右衛門の没年がその3年後の天文12年(1543年)であるため、竹阿弥は秀長の実父ではなく、義父・養父(実父の可能性が高いと思われるのは天文12年生まれの朝日姫のみ)であるとも言われています。

その後の竹阿弥が送った人生を知る史料もほとんどなく、彼の人となりが記されているのは後世に書かれた文学書が大半となっており、中には『絵本太閤記』のように竹阿弥=出家して改名した弥右衛門(同書では弥助昌吉)とするものや、『甫庵太閤記』で実父的に扱われるなど、その扱いは一定していません。

弥右衛門と別人か、同一人物かは不明なこの竹阿弥もまた高貴な出自では無かったためか、自らの血筋を天皇はじめ国内外を問わず王侯貴族に由来するか、神仏の申し子として神格化しようとした秀吉はこの父も顧みることはほとんどせず、姉や弟妹、そして母と母方の親族は優遇したのとは正反対でした。その没年も出自・生年と同様に不詳で、どのような晩年を過ごしたのかも残されてはいません。

物語で悪しき義父とされた不遇なる父・竹阿弥

ここまでは歴史上の人物としての竹阿弥を紹介してきましたが、今もなお彼に付きまとう負のイメージは大きく、それは“妻の連れ子である秀吉に辛く当たる義父”と言うものです。しかし、これは当初の秀吉ないしは豊臣家の伝記にはなく、講談や“太閤素生記”などによる不和が、時代劇や児童書、マンガなど多くの媒体で広まったものであり、本来は不仲では無かったとする見方も存在します。

とりわけ『甫庵太閤記』には日輪の子とする説話を盛り込みつつも竹阿弥は実父扱いで描かれ、少年秀吉の聡明さを溺愛して光明寺へ修行に出しており、従来のように口減らしや厄介払いとしては描かれていません。

むしろ、秀吉こそがこの優しき父の期待を裏切って寺で騒動を起こして追い出されてしまうのですが、“父さんに叱られてしまうのが怖い”と感じた彼は、
「おれを追い出した坊主どもは叩き殺して、寺なんて燃やしてやる!」
と大仰に騒いだために僧侶達は彼をなだめて扇子や着物まで与えて家に帰したとされ、それを竹阿弥がとがめた様子もなく、秀吉が家を出て放浪したのは勘当や不仲からではなく貧しさからくるものとされています。

ただでさえ実の子と連れ子を抱えた父と言う立場から、連れ子に冷たくなりがちと言うマイナスの印象を持たれがちなうえ、妻の大政所や息子・秀長の活躍がピックアップされがちなため、竹阿弥は弥右衛門と並んで地味な扱いを受けがちな傾向にあり、竹仲直人さん主演の大河ドラマ『秀吉(1996年)』では財津一郎さん演じる竹阿弥が活躍しますが、それでもタイトルに“かあちゃん”と付けられるなど破格の扱いを受ける大政所に比べると、存在感では見劣りするのが現状です。

大河ドラマ『豊臣兄弟!』では実子秀長、そして秀吉とどのような関係に描かれるか、どの俳優さんが演じられるかは未定ですが、主人公の父と言う新たな視点で描かれる竹阿弥像に期待しつつ、紹介を終わらせて頂きたいと思います。

参考文献・サイト(敬称略)

豊臣秀吉: 天下の統一 学習研究社 前川かずお
少年少女世界の名作文学 46 小学館 福田清人

豊臣氏族伝

ウィキソース・太閤記

絵本太閤記上巻

(寄稿)太田

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