大祝鶴姫~唯一現存する女性用甲冑の女性武将

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ある方のFacebookの発言で「甲冑は男性が着る物で、現代の武将隊などで大人の女性が着るのはおかしいぞ」と、決めつけている女性がおられた為、戦国時代に「甲冑を着て戦った女性」の代表例をご紹介致します。
甲冑を着て戦った女性と言えば、木曾義仲の妻・巴御前が有名ですが、戦国時代の武将の奥さん、とりわけ城主の妻は、主人の留守中に「城を守る」指揮官としての役割を担っていました。
敵が攻めた来た場合に、全員とは申しませんが、中には「甲冑を着て籠城を指揮」する女性がいたのも事実です。
その女性武将の代表例が、大三島大祝鶴姫(おおほうり-つる)です。

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上記の写真(紺糸裾素懸威胴丸)は、その鶴姫着用と伝わる、現存する唯一の女性用鎧で、瀬戸内海の大三島にある大山祇神社の重要文化財です。
分かりますかね? ウエストの部分が男性用鎧と異なり、細くなっており、くびれています。
そして、胸部が大きくなっています。
実際に拝見しますと、ウエストの部分は非常に細く、甲冑も小柄なので、この甲冑の主は背が高くなく細い体形であったことが伺えました。


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これは女性用ではないと言う説を唱える方もおり、鶴姫じたい伝説の人物では?と考える方がいるのも事実として隠さず記載しておきますが、ここでは「鶴姫」についてご紹介したいと存じます。

大祝鶴姫は、この伊予国・大三島にある大山祇神社(おおやまづみ-じんじゃ)の大宮司・大祝安用(おおほうり-やすもち)の娘として1526年?に生まれました。
幼いときから兄の大祝安舎、大祝安房と共に兵術を学び、兵法にも精通していたとされます。
下記写真は、瀬戸内海に浮かぶ大三島を松山行きの飛行機の中より撮影したものです。

瀬戸内海に浮かぶ大三島

大祝氏は、元々伊予河野氏の一門であった為、合戦の際には代表の者を陣代として派遣しており、1534年に周防の大内義隆が、大三島を攻めた際には、兄・大祝安舎が陣代として出陣し、河野通政らと撃退しています。
このように、戦国時代になると外敵から島を守る為、大山祇神社祝職家も、島内に台の上城を築いて防衛に当たりました。
また、大三島の東岸の沖合いに甘崎城(水軍の出城)があります。

そんな中、諦めなかった大内義隆は、何度も大三島を狙っており、1541年には大内勢の水軍の将・白井房胤らが侵攻しています。
この時、兄・大祝安舎は既に神職についていた為、大祝安房が陣代となり、河野氏や来島氏と連携して三島水軍と共に迎撃しましたが、大祝安房は討死してしまいました。
そして、同年1541年10月に、再び大内氏が侵攻して来ると、今度は16歳の鶴姫が陣代として出陣して、大内氏の武将・小原隆言を討ち取ると言う功を上げたのです。

2度の敗北に業を煮やした大内義隆は、1543年6月、陶隆房の水軍を河野通宣の勢力域に派遣し、瀬戸内海の覇権を狙いましたが、河野氏とその一門は全力で迎え撃ちました。
しかし、鶴姫の右腕で恋人とも言われる越智安成も討死すると言う苦戦となります。
その劣勢の中、鶴姫は残存兵力を集結させて最後の反撃を敢行したため、油断していたのか、不意を突かれた大内軍は壊走しました。
 
なお、鶴姫はこの戦の後、討死した兄や恋人を想い、18歳で入水自殺したと伝えられています(鶴姫伝説)。


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辞世の句は「わが恋は 三島の浦の うつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらふ」。

大内義隆は、その後、大三島を攻めることは無く、刀剣と馬を大山祇神社に寄贈して詫びたと伝わります。

大祝鶴姫の銅像

現在の大山祇神社には、日本に現存する鎧の40%が残っており、国宝が8点、重要文化財が32点収蔵されていますので、私も機会があれば1度、訪れてみたいものです。

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と言う事で、この記事をUPしてから2年後、広島空港に降り立ち、忠海から大三島に行って参りました。
翌年もお参りさせて頂きなど、かれこれ3回訪問する機会を得られ、急にご縁ができて参りました次第です。

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コメント

  • コメント ( 2 )

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  1. 冨塚多恵

    とても興味深い記事の数々、お礼をお伝えしたくて投稿します。神奈川県在住の40代女です。最近歴史に興味を持ち休日にお城や古都を訪ねたりしています。先日鎌倉宮に参拝し、護良親王と雛鶴姫の話を宮司さんから聞き、興味を持ちましたので調べておりましたところこちらのサイトにたどり着きました。雛鶴姫は非業の死を迎えたと知り、で誠に気の毒だと思いました。それから護良親王の太刀が大山づみ神社に奉納されていたことを知ってビックリしました。大山づみ神社には何度も行っているのですが、専らサイクリングの旅で、隣の博物館はいつも素通りでした。今度しまなみ海道へ行くときは必ず国宝館に寄ろうと思いました。村上水軍博物館なども寄ってみたいと思います。貴サイトにはたくさん興味を引かれる記事があり、今日から楽しく読ませていただきます。たくさんのことを教えていただき、楽しい時間をいただけましてありがとうございます。

  2. ご覧頂きまして、誠にありがとうございます。
    しまなみ海道は景色もステキですし、サイクリングされている方、多いですね。
    冨塚さまは私と同じ神奈川からお出かけになられていると言う事ですが、自転車空輸なさっておられるのですか?
    大山祇神社まで参りましたら、是非「国宝館」は必見ですので、是非、ご訪問なさって頂ければと存じます。
    あと、Facebookのグループもありますので、もし、よろしければどうぞ。
    https://www.facebook.com/groups/675590472547562/