大山祇神社(大三島)~国宝と国の重要文化財指定の「甲冑」の4割がココに

大山祇神社(おおやまづみ-じんじゃ)は、瀬戸内海の大三島にある伊予一宮で、全国・山祇神社(大山祇神社)(約10000社)の総本社です。

創建はかなり古く、約2600年前、神武天皇が東征(南九州地方より奈良地方へ東征)する以前に、御祭神である大山積大神の子孫「小千命」が、伊予二名国(四国)に渡って、瀬戸内海の治安維持を担当したのが始まりで、芸予海峡の要衡である御島(大三島)を神地と定めて、鎮祭したことにはじまると伝わります。


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伊予国風土記によると、その後、仁徳天皇の時代に、百済から摂津・御島に大山祇神が祀られていたのが、594年に大三島瀬戸に移されてほぼ現在の基本ができたとされます。

大山祇神社

例えば、大山祇神を祀っているのは、神奈川県の大山阿夫利神社や、京都の梅宮大社もあり、また、静岡県三島市の三島大社も大三島・大山祇神社と関係がありそうです。

大三島・大山祇神社

山の神・海の神・戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた大山祇神社は、朝廷からは「日本総鎮守」の号が下賜されました。

大山祇神社の境内図

また、源氏平氏など多くの武将が武具を奉納し「武運長久」を祈っています。

大山祇神社

そのため、源義経が奉納した赤糸威鎧(大袖付)、源頼朝の紫綾威鎧(大袖付)、日本の大鎧としては最古の沢瀉威鎧(おもだかおどしよろい)など、国宝の鎧(甲冑)だけでも「国宝」が4領もあります。
このように日本に現存する「甲冑」で国宝と国の重要文化財に指定されている武具の40%が大山祇神社にあると言う大変貴重な神社です。
2014年現在、社殿と武具の文化財としては、国宝8件、国の重要文化財が76件もあり、紫陽殿と国宝館にて一般公開(有料)されています。

資料室に入ってからと言うもの、たぶん30回は「スゴイ」と、つぶやいたと思います。
護良親王が奉納した太刀である国宝「牡丹唐草文兵庫鎖太刀拵」や、平重盛奉納の「螺鈿飾太刀」、山中鹿之助の大太刀、武蔵坊弁慶の薙刀なども展示されています。

国宝文化財のリストとしては下記の通りです。
国宝・禽獣葡萄鏡(斉明天皇御奉納)
国宝・澤瀉威鎧(越智押領使好方奉納)
国宝・赤絲威鎧・大袖付(源義経奉納)
国宝・紺絲威鎧・兜・大袖付(河野通信奉納)
国宝・紫綾威鎧・大袖付(源頼朝奉納)
国宝・大太刀(銘・貞治五年丙午千手院長吉)
国宝・牡丹唐草文兵庫鎖太刀拵(護良親王奉納)
国宝・大太刀(無銘)伝豊後友行(大森彦七所用)

下記は河野通信奉納の鎧です。

河野通信奉納の鎧

下記は重文・紺糸裾素懸威胴丸(太祝安用の娘・鶴姫着用)です。

大祝鶴姫の甲冑

資料館の内部は撮影禁止ですので、甲冑の写真は大山祇神社発刊の書籍より拝借致しております。
この手の資料館の場合には、本物は大切にしまっておいて、模造品(レプリカ)が展示されているなんてこともありますが、ここ大山祇神社は全部が昔のままの「本物」展示ですので、とても素晴らしいです。
ただ、資料館のドアも開けっ放しで外気が遠慮なく入ってきますので、ケースの中とはいえ、貴重な国宝類が痛まないか?、老婆心ながら心配してしまいました。

大山祇神社の神職(大祝職)は越智氏(のち三島家)が代々世襲しており、職名から大祝氏とも称されています。
伊予で一番古い記録に残っている豪族が今治の「越智氏」です。
大山祇神社の社家は「三島大祝家」と呼ばれ、伊予小市国造(いよ-おちの-くにのみやつこ)である越智氏の後裔で、湯築城の河野氏と先祖が同じです。

下記は、1281年に元寇出兵した際に河野通有が兜を掛けた「河野通有兜掛の楠」ですが、既に枯て横たわっています。

河野通有兜掛の楠

1543年には、大三島の戦い(大三島合戦)があり、大祝氏の鶴姫が討死(自害)しました。
下記は大祝鶴姫の銅像です。

大祝鶴姫の銅像

戦国時代には村上水軍(村上海賊)の保護を受けました。
大山祗神社の神紋「折敷に三文字」は、伊予の河野氏や、来島村上氏が家紋に採用しています。

折敷に三文字

境内中央には樹齢約2600年の「神木」となる大楠が鎮座している他、社領の楠群は日本最古の原始林とされ、国の天然記念物に指定されています。
越智一族の乎知命(おちのみこと)手植えとも伝わります。
息を止めて3周すると願い事が叶う、楠と一緒に写真を撮ると長生きできるなどの信仰があるようです。

大山祇神社の大楠

大山祇神社の宝篋印塔(国の重要文化財)は、鎌倉時代のもので中央は一遍上人が1318年に建てたと伝わります。
なかなか立派な大きさです。

大山祇神社の宝篋印塔(国の重要文化財)

明治以降は内閣総理大臣の伊藤博文や、連合艦隊司令長官だった山本五十六、皇族の方々、女優の浅野温子さんなども参詣しています。

大山祇神社のご神木

ちょっと足を延ばして大山祇神社・奥の院方面も散策してみました。
奥の院の入口には下記の「生樹の御門」があります。

生樹の御門

大木が2つにポッカリと穴が開いてトンネルになっている感じで、まさに生きている木が「門」なのです。
もっとも、実際に訪れるまでは、生樹の御門の意味はわかりませんでしたが・・。

生樹の御門

下記が奥の院の建物です。
車で入って行くことは困難です。

大山祇神社の奥の院

しまなみ海道を抜ける際には、是非立ち寄りたいパワースポットが大山祇神社です。
観光所要時間ですが、紫陽殿・国宝館・奥の院見学して、私の場合では50分でした。
ただし、甲冑類の展示はとても数も多いですので、じっくり見ますとプラスアルファで、かなりの時間が必要です。

大三島

駐車場は下記の道の駅「しまなみの駅御島」を利用させて頂きました。
下記の地図ポイント地点となります。

なお、道の駅の反対側の場所には観光客用の通常の無料駐車場も完備となっています。

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