眠れないほど面白い大鏡① 「時平の笑い上戸」

大鏡

大鏡」について、貴方はどれくらいの知識をお持ちだろうか。
いわゆる「四鏡(大・今・水・増)」のひとつであり、扱われている時代としては、「水鏡」に次いで2番目に古い、文徳天皇から後一条天皇にいたる14代176年にわたる宮廷、道長を中心とする藤原北家が中心となっている。
同時代に成立した「栄花物語」が編年体であるのに対し、「大鏡」は紀伝体。
作者は不明。


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夏山繁樹と大宅世次という2人の老人が、雲林院での菩提講で若侍に歴史を語る、という形式だ。
しかしこの「大鏡」、単なる歴史書で終わらない。
中身を読み進めると、歴代天皇や藤原摂関家のちょっとしたエピソードが挿入されており、彼らは単なる歴史上人物ではなく、自分と同じ、血の通った人間なのだということを再認識できる。
そこで、「眠れないほど面白い大鏡」と題し、「大鏡」に収められた逸話とその魅力についていくつかご紹介していきたい。

 藤原時平(871~909)は、日本史上初の関白・基経の長男。
人康親王女を母に持ち、醍醐天皇の御代に左大臣に昇り、右大臣・菅原道真とともに「延喜・天暦の治」と呼ばれる理想の政治を実現した。
しかし、のちに「昌泰の変」により道真を左遷。
失意のうちに没した道真は怨霊となり、都を混乱に陥れた。
彼の祟りなのか、時平は他の兄弟たちに比べて短命で、子孫も早死にする者が多く、家は衰退した。
彼が生きた時代は、まさに平安時代の光と闇が併存していたといえる。
今回ご紹介するのは、そんな時平の性格と、当時の政治背景を伝えるエピソードだ。

《原文》

「物のをかしさをぞ、え念ぜさせたまはざりける。
笑ひ立たせたまひぬれば、すこぶる事も乱れけるとか。
北野と世をまつりごたせたまふあひだ、非道なる事を仰せられければ、さすがにやむごとなくて、「切にしたまふ事をいかがは」とおぼして、「この大臣のしたまふ事なれば、不便なりと見れど、いかがすべからむ」と嘆きたまひけるを、なにがしの史が、「事にも侍らず。
己れ、構へて、かの御言を止め侍らむ」と申しければ、「いとあるまじき事。
いかにして」などのたまはせけるを、「ただ御覧ぜよ」とて、座に着きて、事きびしく定めののしりたまふに、この史、文刺に文はさみて、いらなく振舞ひて、この大臣に奉るとて、いと高やかに鳴らして侍りけるに、大臣、文もえ取らず、手わななきて、やがて笑ひて、「今日は術なし。右の大臣に任せ申す」とだに言ひ遣りたまはざりければ、それにこそ、菅原の大臣、御心のままにまつりごちたまひけれ。」


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《現代語訳》
大宅世次「時平公はおかしいことがあると、どうにも我慢がおできにならなかったのです。
一旦お笑い出しになると、いささか物事も乱れておしまいになったとか。
道真公と一緒に天下の政治をなさっていらした折に、道理に反した処理を命じられたので、道真公はそれを止めようとしましたが、高貴な方なのでどうすることもできず、「強く主張なさる事をやめさせられそうにない」とお思いになって、「不都合な処置だと思うが、どうしたものか」と溜息をおつきになった。
すると、ある役人が「造作もないことです。
私めが必ず時平公をお止めいたしましょう」と言ったので、道真公は「そんな事ができるはずはない。
どうするつもりか」などと仰ったのを、役人は「ただご覧になっていれば良いのです」と答え、時平公が席について訴え事を厳しく裁定して怒鳴っている時に、杖に文を挟んで、極端に大袈裟な身振りでお渡しする瞬間、実に高らかに屁を鳴らしたのでございますが、時平公は受け取ることもおできにならず、手が震えてすぐに笑い出し、「今日はお手上げだ。
あとは道真公にお任せする」とさえ言い終わることもできない有様だったので、そのおかげで道真公はご自身の意志で裁決をおくだしになられました」


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目の前で大袈裟に振る舞い、放屁した役人を見て、時平が笑いが止まらなくなってしまった、という逸話である。
時平はいわゆる“ツボが浅い”人間だったのだろう。
しかし、これは単なる笑い話ではない。
右大臣・道真は時の帝から重用されていたとはいえ、摂関家の若輩者にすぎず、しかも後ろ盾である父・基経を失っている時平の独裁を止められなかった。
このエピソードの後には、大宰府に流罪となって没した後、雷神として清涼殿に雷を落とした道真の記事が挿入されており、2人の関係性、そしてその結末について推量することができる。
そんなところも、「大鏡」が持つ面白さのひとつだ。

【参考文献】
・「大鏡(新潮日本古典集成/石川徹)」

(寄稿)河合 美紀

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