眠れないほど面白い大鏡⑤ 「藤原道長、妹の懐妊を疑う」

大鏡

大鏡」は、平安時代後期に成立した、歴代天皇と藤原摂関家の歴史を中心に扱う歴史物語だ。
今からちょうど1000年前、日本のトップに君臨していた男こそ、藤原道長(ふじわら-の-みちなが)である。
彼は非常に豪胆な人物であったようで、その性格に関するエピソードが多く残っている。
今回ご紹介するのは、道長が入内した妹の密通と妊娠を疑い、その真偽を驚くべき方法で確かめるという場面である。


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藤原道長(966年~1027年)は、平安時代中期の公卿。
藤原兼家と藤原中正女・時姫の五男(※一説には四男)。
長女・彰子を一条天皇、次女・妍子を三条天皇、四女・威子を後一条天皇に入内させ、日本史上初の「一家三后」を実現した。
後一条天皇、後朱雀天皇、後冷泉天皇の外祖父。
日記「御堂関白記」が知られている。

《原文》

怪しき事は、源宰相頼定の君の通ひたまふと世にきこえて、里に出でたまひにきかし。
ただならずおはすとさへ、三条院聞かせたまひて、この入道殿に、「さる事のあなるは、まことにやあらむ」とて、仰せられければ、「まかりて、見て参り侍らむ」とて、おはしましたりければ、例ならず怪しくおぼして、几帳引き寄せさせたまひけるを、押し遣らせたまへれば、もと華やかなるかたちに、いみじう化粧じたまへれば、常よりもうつくしう見えたまふ。
「東宮に参りたりつるに、しかじか仰せられつれば、見奉りに参りつるなり。
虚言にもおはせむに、然きこしめされたまはむが、いと不便なれば」とて、御胸を引きあけさせたまひて、乳を捻りたまへりければ、御顔にさと走り懸るものか。
ともかくものたませで、やがて立たせたまひぬ。
東宮に参りたまひて、「まことにさぶらひけり」とて、したまひつる有様を啓せさせたまへれば、さすがに、もと心苦しうおぼしめし慣はせたまへる御仲なればにや、いとほしげにこそおぼしめしたりけれ。
尚侍は、殿帰らせたまひて後に、「人遣りならぬ御心づから、いみじう泣きたまひけり」とぞ、その折見奉りたる人語り侍りし。
東宮にさぶらひたまひしほども、宰相は通ひ参りたまふ。
事余り出でてこそは、宮もきこしめして、「帯刀どもして『蹴させやたまひし』と思ひしかど、故大臣の事を、『亡き影にも、いかが』といとほしかりしかば、さもせざりし」とこそ、仰せられけれ。
この御過ちより、源宰相、三条院の御時は、殿上もしたまはで、地下の上達部にておはせしに、この御時にこそは、殿上し、検非違使の別当などになりて、亡せたまひにしか。

《現代語訳》
(大宅世次)「怪しい事に、源頼定様が尚侍のところに通っていらっしゃるという噂が世間に広がって、尚侍は里第に籠っておしまいになりました。
しかも妊娠していらっしゃるとまで三条院はお耳になさって、この道長様に“懐妊の噂があるそうだが、それは本当だろうか”と仰ったので、“彼女の許に赴いて見て参りましょう”と言って様子を見に行くと、いつもと違い変だなと思って、几帳を引き寄せて隠れようとなさるのを、几帳を押しやってみると、綏子様は元々華やかな容貌をしていらっしゃる上に、お化粧もされていたので、普段よりもお綺麗に見えました。“東宮のもとに参った際に、このように仰っていらっしゃったので、見届け申すために参ったのです。
噂が嘘かもしれないのに、そんな風に東宮様がお耳にされたら、とても不都合なことです”と、綏子様の着物の胸を開けて、乳房を捻ると、道長様のお顔に母乳がさっとかかりました。
何も言わずに道長様はそのまま立ち上がってしまわれました。
東宮のもとにいらっしゃって、“噂は本当でございました”と、なさってきたことを申し上げると、何と言ってもやはり、元来いとおしく思い慣れていらっしゃる御仲だからでしょうか、愛おしくお思いになられました。
綏子様は道長様がお帰りになった後に、“身から出た錆とは申しながら、たいそうお泣きになった”と、その様子をご覧になった人が語っていらっしゃいました。
東宮にお仕えしていた時も、参議源頼定様は綏子様のもとへいらっしゃっていました。
噂が高くなり世間に知られてからは、“東宮坊に命じて蹴飛ばしてやろうか、と思ったが、亡くなられた兼家公が草葉の陰でどんなに嘆いておいでだろう、と思いやられてできなかった”と、東宮は仰っておいででした。
この御過ちによって、源頼定様は三条院が位に即いている間は殿上への伺候を許されず、地下人として遇されました。
今上帝の御代になってからは、殿上し、検非違使の別当などをなさったのち亡くなられました。」

道長には綏子(974年~1004年)という妹がおり、989年に甥・三条天皇(976年~1017年)に入内した。
美人で素直な彼女は東宮時代の三条天皇に愛されるが、ふとしたきっかけで寵愛を失い、里第に籠るようになった。
ところが、この時に源頼定(977年~1020年)と密通し、子供まで生まれてしまったのである。
しかし、三条院は表立って2人を罰することはなかった。
綏子は自身を大層可愛がってくれた祖父・兼家の娘であり、相手の頼定は三条院と同じく村上天皇を祖父に持つ村上源氏だったからだ。

驚くべきは、道長が妹の妊娠を確かめた方法である。
当然ながら綏子はショックを受けて泣いてしまい、見ていた人たちも「何もそこまでなさらなくても」と言ったほどだったが、兄妹仲は悪くなかったようである。
綏子は内裏退出後に道長の庇護を受け、その屋敷で亡くなった。


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今回、5回に分けて「大鏡」に収録された藤原摂関家のエピソードについて扱った。
読者の皆様に「大鏡」の面白さを少しでも感じていただけたら本望である。

【参考文献】
・「大鏡(新潮日本古典集成/石川徹)

(寄稿)河合 美紀

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