豊臣秀保~大和中納言として100万石となるも僅か17歳で不審死するその真相は?


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豊臣秀保(とよとみ-ひでやす)は、1579年に、元農民である木下弥助(三好吉房)の3男として生まれた。幼名は辰千代(たつちよ)
母の木下智子(瑞龍院日秀、日秀尼)が46歳の時に産んだ子で、実の兄に豊臣秀次豊臣秀勝がいる。

1579年と言うと、羽柴秀吉は既に長浜城主で毛利攻めとして中国地方へ行っている頃で、豊臣家の他の血縁者とは異なり、豊臣秀保は生まれた時から「若君」として育てられた。
そして、兄の羽柴秀次(豊臣秀次)が、まだ子がいなかった頃の豊臣秀吉から後継者として目されて近江中納言となったのと同様に、豊臣秀保も幼い頃から官位を授かり、1588年1月8日には、僅か9歳で侍従となっている。

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そして、1591年1月、13歳の豊臣秀保は、豊臣秀長の娘・おきく(5歳?)と結婚し、叔父・豊臣秀長の亡くなったあとの秀長系豊臣家の跡取りとなり、大和郡山城主となった。
ただし、豊臣秀長は丹羽長秀の3男である仙丸を後継者として養子に迎えていた為、反対したとも伝わるが、豊臣秀吉は血縁を重視した。
こうして豊臣秀保は、大和と紀伊の2ヶ国100万石を治めたが、家老として藤堂高虎と桑山重晴が後見している。

1592年には、従三位権中納言となり、以降は「大和中納言」と呼ばれている。

文禄の役では名護屋城の普請も担当しており、15000を率いて名護屋城にも参じたが、まだ若年であったことから朝鮮には藤堂高虎が代わりに渡っている。
藤堂高虎は紀伊水軍(紀伊海賊衆)である桑山元晴、桑山一晴、杉若氏宗、杉若無心、堀内氏善らと水軍として戦い、本多俊政は壱岐勝本城に兵500にて兵站物資の海上輸送などを行った。

豊臣秀吉は豊太閤三国処置太早計による中国・朝鮮の征服したあと、豊臣秀保か豊臣秀家(宇喜多秀家)のどちらかを日本の関白として任せようと考えていたようだ。

なお、お江(浅井長政の3女)の夫で2番目の兄・豊臣秀勝は、細川忠興らと巨済島にて戦ったが病となり現地で没している。(享年23)

豊臣秀頼が誕生し、文禄の役からの撤退では、1593年閏9月25日には、藤堂高虎と共に名護屋城から下関まで戻った。

1594年2月、吉野の花見にて豊臣秀吉、豊臣秀次、菊亭晴季らと5首ほど和歌を詠んだ。

1595年4月16日、豊臣秀保は体調を崩したようで急死する。享年17。
疱瘡か麻疹ともされているが、十津川温泉にて温泉療養中に、側で控えていた小姓によっと十津川の淵に落とされて溺死したとも伝わり、事故死・不審死など色々な議論がある。
死後、豊臣秀保は大納言を遺贈された。

なお、正室・おきく(豊臣秀長の娘)との間には子が無く、以前、豊臣秀長の養子だった仙丸(丹羽長秀の3男)も、すでに藤堂高虎の養子になって藤堂高吉となっていた為、大和豊臣家は断絶することになった。
もっとも、藤堂高虎も以前の豊臣秀長養嗣子である仙丸を、大和郡山城主にと豊臣秀吉に進言したものの、受け入れられなかったとされている。
通常であれば、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長の家系を絶やすと言う事は考えにくく、既に茶々との間に生まれた豊臣秀頼に豊臣家を継がせる為に、既に豊臣秀吉は一族をも粛清する考えであったと受け取れる。

豊臣秀保の家臣で主だった武将は、下記の通り。
藤堂高虎、桑山重晴、杉若無心、宇多頼忠、本多俊政、島清興、小堀政一、横浜一庵、横浜茂勝。

豊臣秀保の死の責任を負うかのように、藤堂高虎は出家し高野山・西明院に入ったが、その将才を惜しんだ豊臣秀吉は、生駒親正に説得させて還俗させ、7万石の大名として伊予国板島の宇和島城主となった。

そして、豊臣秀保が亡くなった3ヶ月後には、長兄・豊臣秀次も高野山青巌寺にて切腹(豊臣秀次事件)する。(享年27)

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