檜原城攻め~小田原征伐の陰にあった戦い

戦国武将列伝Ω

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 八王子城代だった横地景信は、豊臣秀吉小田原攻めの際の八王子城落城時に、大石照基に逃がされ、檜原城主・平山氏重の元に落ち豊臣勢に抵抗を続けたとされる。

 平山氏重の弟・平山綱景は八王子城太鼓郭を守備して既に討死している。

 檜原城の必殺の石落としは十兵に値すると「一石十兵の檜原城」と讃えられた堅固な城であったが甲斐方面に向けての守備構造であり、東から攻めた豊臣勢の大軍には太刀打ちできなかったとされる。

 当時、圧倒的に優勢な豊臣勢に包囲され無血開城した北条勢の城も多かった。そして、7月に入ると小田原では開城に向けた交渉がされ7月9日には北条氏政北条氏照小田原城から出ていたが、それでも檜原城主の平山氏重は徹底抗戦をし、城下の北の千足にあった「千足のかくれ岩」で悲壮な自刃を遂げる。

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 横地景信と平山氏重の子・平山氏久は浅間尾根を辿って小河内に落ち、檜原城は7月12日落城した。

 前日の7月11日には北条氏政や北条氏照が切腹(介錯は弟・北条氏規)した日でもあった。

 その後、横地景信は更に逃亡を図るが、重傷を負っていた横地景信は蛇沢と呼ばれる地で自刃。深傷の為に動けなくなったようだ。その地には横地社が残る。

 武蔵・西党一族で、平家物語などの軍記物にも活躍が描かれている鎌倉武士・平山季重を祖とする平山氏はこれに没落したが、平山氏久は僧となって落武者狩りを逃れ奥多摩に潜伏し、のち子孫が北檜原の茗荷平を開拓したと言う。

 

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