国宝「松江城」の魅力と築城した大名の堀尾忠氏とは~松江城を3倍楽しむ方法

松江城

松江城(まつえじょう)は別名を千鳥城とも言う、宍道湖からすぐ近くの輪郭連郭複合式平山城です。

日本さくら名所100選、都市景観100選の他、日本100名城、国の史跡、そして標高29メートルの亀田山に建つ松江城の現存天守国宝です。

松江城がある場所は、もともと末次城でしたが、そんな松江城の歴史と関わりある戦国武将をご紹介しつつ、松江城の楽しみ方も入れてみたいと存じます。


スポンサーリンク


豊臣秀吉の死後、徳川家康に接近した堀尾吉晴の子である浜松城主・堀尾忠氏が、関ケ原の戦いの論功行賞で、出雲・富田24万石に加増移封となったのが、松江城の始まりになります。

堀尾忠氏とは

堀尾忠氏(ほりお-ただうじ)は、織田信長のもとで出世する木下藤吉郎の家臣である堀尾吉晴の次男(長男とも?)として1578年に生まれました。
父・堀尾吉晴は、豊臣秀吉の信頼を得て4万石となり、1590年の小田原攻めにも出陣。
この時、山中城の戦いにて、堀尾忠氏の兄とされる堀尾金助が討死(病死とも)。享年18。
そのため、堀尾忠氏が跡目となり、元服の際には徳川秀忠よりら偏諱を受けて「忠氏」と称しました。
正室は前田玄以の娘・長松院です。

中村一氏や生駒親正らと共に豊臣家の三中老に任命された浜松城主・堀尾吉晴は、1598年に豊臣秀吉が亡くなると徳川家康に接近。
そして、1599年10月1日、高齢を理由に隠居して、家督を堀尾忠氏に譲りました。
なお、父は、隠居領として5万石を徳川家康から与えられています。

徳川家康の会津征伐において、堀尾吉晴と堀尾忠氏は東軍として参じています。
石田三成が挙兵すると掛川城主の山内一豊と相談し、堀尾吉晴は本拠・浜松城を徳川家康に献上しました。
こうして、関ケ原の前哨戦での戦功を評価された堀尾忠氏は、月山富田城24万石と大幅な加増となった訳です。

最初は月山富田城に入りますが、城下町を拡大させるのが難しい地勢であったことから、徳川幕府の許可を得て、1607年(慶長12年)から末次城跡に築城開始しました。

松江城

縄張り(設計)は、太閤記の作者としても知られる小瀬甫庵(おぜ-ほあん)と言う儒学者・軍学者や、土木職人の稲葉覚之丞らであるとの事です。
ただし、堀尾吉晴も加藤清正とともに築城の名手とされていますので、当然、意見は反映されているかと存じますが、堀尾吉晴は荒隈山に築城した方が良いと言い、24万石では荒隈山は広すぎて維持でないと言う、子の堀尾忠氏とは意見が合わなかったようです。

松江城

なお、堀尾忠氏は、1604年7月下旬に、大庭大宮(神魂神社)を参拝した際に、神主の静止を聞かず、禁足地である小成池を見学したそうです。
一人で行って戻ってきた堀尾忠氏の顔色は青ざめていたと言い、月山富田城に戻ると病床につき、1604年8月4日に父よりも早く亡くなりました。享年27。
一説にはマムシに噛まれたのではないか?とも言いますが、松江城の完成は、幼くして藩主となった堀尾忠晴のときとなります。

松江城

石垣は、松江市の東にある嵩山(だけさん)から切り出した「大海崎石」(おおみざきいし)で、ごぼう積み・野面積になっています。

松江城

隠居していた堀尾吉晴か亡くなったあとの1611年冬に、松江城が完成し、松江藩の本拠となりました。

松江城

しかし、2代藩主・堀尾忠晴が1633年に死去すると、男子がいなかったため、堀尾家は断絶します。

松江城

そのため、1634年に、若狭・小浜藩から京極忠高が、26万石で入封し、三の丸が追加されています。
その京極忠高も男子に恵まれず、1637年に断絶し、1638年からは、信濃・松本藩から松平直政が18万6千石で入り幕末まで続きました。

松江城のニの門跡

松江城の本丸が近づいて参りますと、なかなか良い雰囲気になります。

松江城

本丸には、天守を囲むかたちで武具櫓、鉄砲櫓、祈祷櫓など6つの櫓があり、細長い多門塀(たもんぺい)にて繋がっていました。

松江城の天守は望楼型天守で、外観は4重ですが、内部は5階・地下1階になっており、平屋の附櫓も付属します。
江戸初期に建造した現存の天守となります。

松江城

下記が天守の入口となります。
靴は下駄箱に入れておく方式なので、ビニールに入れて持ち歩かなくて済み、ありがたいです。

松江城の入口

内部はさすが、敵の侵入に対しての技巧も見られ、なかなか良い設計です。
昔の建物で、天守閣内部の階段はスゴク急ですので、女性はズボンのほうが良いです。

松江城の内部

松江城の内部は写真撮影も許可されていましたので、何枚か撮影させて頂きました。

松江城の内部

天守の中に井戸があるのは、戦国後期以降から見られる特徴のひとつです。

松江城の井戸

城下町の模型もあります。

松江城と城下町

下記は天守からの展望です。

松江城からの展望

なお、築城の際には軟弱な地盤でもあったことから、天守台の石垣が崩れたため、人柱を立てたといいます。
盆踊りを開催して、その中で一番美しかった少女を生贄として埋めたため、無事に工事は完了しましたが、その娘のたたりで、藩主が断絶・改易になったと噂されたそうです。

松江城

塩見縄手と呼ばれる地区には、600石程度の松江藩中級藩士の「武家屋敷」が有料拝観可能です。
※2018年3月31日までは修理のため休館中。

まつえ若武者隊

松江城では「まつえ若武者隊」の皆様が土日祝と月曜日に「おもてなし」をなさっておられます。
小生が訪問させて頂いた平日は、残念ながら、お会いすることはできませんでしたが、演武なども素晴らしいと聞き及んでおります。

松江城

お近くの方は、ぜひ、土日などに隊長の本間亀二郎さん、出雲修理さん、堀川茶々丸さん、帯刀・初さん、忍者・月照さん、千鳥・天愚さんなどメンバーさまに会いにお出かけなさってみてはいかがでしょうか?
もちろん、記念撮影にも快く応じて頂けますし、松江での良い思い出になるかと存じます。

なお「まつえ若武者隊」の皆様は、隊長の本間亀二郎さんでも、侍大将(足軽大将)と言う設定でして、大名(藩主)や有名武将と言うように気取ってないところが、素晴らしいと常々感じております。
まさに、おもてなし武将隊の真骨頂と言えるのではないでしょうか?

松江城

今回、出陣日の月曜日に合わせて出張させて頂いたのですが、出雲空港に降り立ったのが遅かったせいか、松江城にて武将隊の方をお見受けすることはできませんでした。
Facebookでもお世話になっております、本間亀二郎さまにお会いできなかったのは残念でしたが、Twitterで配信されている内容を下記にてご紹介させて頂きます。

松江城には他にも楽しみがありまして「堀川巡り」と言う遊覧船もあります。
今回、運行時間が終わってしまっていたのですが、日本にこのような堀巡りの船があるとは言え、外堀と内堀の両方を回れるのは、珍しいので、時間があればお勧めです。

松江城

松江堀川遊覧船は、単にグルット1周して戻ってくると言う遊覧ではなく、巡回バスのように、同じコースを船がグルグル運行されていて、3箇所ある乗船場で乗り降り自由、15分置きに船が来ると言う水上バスのようなパターンです。
定員12名ほどの小さな船ですので、本数は多く、乗船券は1日乗り放題券となっており、年間パスポートもあります。
1周すると約50分の所要時間になります。
また、パスポート(旅券)を提示すると、外国人割引もあります。
春には川辺からの桜も満喫できます。

松江城

松江城への登閣(観光所要時間)は、約50分といったところです。
高い木の上には、サギの巣も見られましたので、宍道湖や中海といった自然にも囲まれた良いところですし、宿泊した松江しんじこ温泉だけでなく、歴史ある玉造温泉も近いです。

松江城の縄張り

松江城への行き方・アクセスですが、JR山陰本線「松江駅」からですと、レイクラインバスで約10分、松江城「大手前」バス停下車となります。
ゴールデンウィークなどの連休中には、県庁職員駐車場が「おもてなし駐車場」として開放されるなど、観光にも力を入れています。
下記の地図ポイント地点は、松江城大手前駐車場(24時間・有料駐車場48台)の入口となります。

日本全国を回っていますと、県庁所在地は結構クルマが多くてレンタカーの運転も大変な時があります。
しかし、松江市は島根県の県庁所在地ですが、意外とスムーズに移動できました。(鳥取市も)

松江城

松江城山二之丸には下記の「興雲閣」と言う洋館も移築されていました。

興雲閣

その隣には、松江神社もあります。松平直政、徳川家康、7代藩主・松平治郷、堀尾吉晴が祀られています。

松江神社

他にも松江市には、国指定史跡になっている「小泉八雲旧居」(ヘルン旧居)などもありお勧めです。

ちなみに、松江城の天守も外国人割引がありますが、JAF会員割引も利用できました。
中国(中華人民共和国)では、逆でして外国人は高い観光料金を取られますが、同じ中国?(中国地方)でも、松江の心意気は素晴らしいですね。
以上、まつえ若武者隊の皆様にお会いするのであれば、土日祝がお勧めです。
また、舟に乗るのであれば夕方ではなく昼間が良いでしょう。
2倍も3倍も楽しむ方法がある松江城ですので、ぜひ、うまく計画を立ててみて頂ければと存じます。

まつえ若武者隊の公式HP(出陣予定など)

ちなみに、天守が国宝指定されているお城は、松江城の他に、姫路城彦根城松本城犬山城となります。

3分でわかる堀尾吉晴とは~仏の茂助と呼ばれた豊臣家最古参の名将
月山富田城の解説【日本100名城】尼子経久・尼子晴久・尼子義久
浜松城(引馬城、曳馬城、引間城)の観光攻略&訪問記・写真集
中村一氏 秀吉に信任され対徳川家康の最前線を守った譜代の臣
中村一忠と横田村詮とは~中海に面する米子城の雄姿
足立美術館の魅力ある日本庭園は生きた絵画だったの巻
山陰地方の史跡・城跡・観光名所へのカーナビにも便利な地図

コメント

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。