最後の北条家当主「北条氏直の墓」なぜココに?~広島「海蔵寺」を訪ねて


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広島・海蔵寺は応永年間(1394年~1427年)に中国の僧・慈眼禅師が創建した古刹です。

草津城主となった大内家の家臣・羽仁家の菩提寺、そして、毛利家時代には草津城主となった児玉家の菩提寺となりました。
特に1555年の厳島の戦いでは、毛利勢の陣のひとつにもなっています。
また、1588年に毛利輝元が上洛する際には、この海蔵寺に宿泊し、草津港から船で向かったとの事です。

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また幕末の1864年、長州征伐の際には、広島藩の仲介の元、江戸幕府と長州藩の談判が、この海蔵寺にて行われました。
1945年、広島に原爆が投下されると、本堂が傾く被害を受けています。

そんな歴史ある海蔵寺には、戦国武将の墓もいくつか存在します。

山中鹿之助の娘・山中盛江の墓

1878年に毛利家が暗殺した山中鹿之助(山中幸盛)の次女・盛江(八重姫)は、草津城主の児玉就方が預かっていたとされます。
その後、草津の商家に嫁いだと言われており、その墓が海蔵寺にあります。
僅か14歳だった盛江は、児玉就方の養育を受けて養女となると、かねてより児玉就方が目を掛けていた草津鵜鷲山の旧家・吉和義兼(吉和孫左衛門義兼)に、1579年3月、嫁いだとされます。
児玉就方の子・児玉就英は1886年に家督を継いでいますので、山中鹿之助の娘の面倒を見たのは、恐らく父・児玉就方と言う事になると思います。

なお、もともと盛江の墓は草津・浄教寺にあったのを1937年(昭和12年)に旧家・吉和家が海蔵寺に改葬したそうです。

尼子再興を目指して活躍した山中鹿之助の首塚は、鞆の浦・静観寺門前にありますが、盛江(八重姫)の願いを受けて、児玉周防守就英が「浄教寺」に頭蓋骨を改葬したと言われています。
この話が、旧家・吉和家に伝わっており、先祖代々の墓を海蔵寺に改葬する際に、盛江(八重姫)の五輪塔近くから、壺に納められた頭蓋骨が発見されたと言う事です。
そして、海蔵寺の盛江の墓から斜めうしろにある松の大木(現在は枯れている)の根元に、その骨壺を丁重に葬ったと言います。

浄教寺には改葬したことを示す石碑(山中鹿之助の供養碑)が建立されています。

なお、別の話では、尼子の残党が、密かに鞆の浦から掘り出して、広島県東城町の徳雲寺に埋葬したともあります。
他にも山中鹿之助の墓や首塚と言うのは、鳥取・広島を中心にあちこちありますので、念のため記載しておきます。

北条氏直の墓

1590年、豊臣秀吉小田原攻めにて、高野山に蟄居となった北条氏直(北條氏直)は、1591年8月に許されて豊臣秀吉のお側衆となり、10000石になりました。
しかし、それから僅か3ヶ月後の11月に大阪で病死したとされます。

北条氏直の墓は、小田原城主・北条家の菩提寺である箱根湯本の早雲寺にあります。
しかし、どういう訳か?、遠く離れた広島・草津の海蔵寺にも北条氏直の墓があります。

非常に気になったので、広島と小田原の接点を色々と探ってみました。

まず、地元の伝承では、草津城主・児玉就英(児玉周防守就英)が匿っていて、この地で生涯を終えたとされているそうです。
当然、早雲寺にある北条氏直の墓は「供養塔」だと思われますので、そうなると本物はここ海蔵寺である可能性も捨てきれませんし、児玉家は山中鹿之助の娘を密かに保護した事もありましたので、あながちありえない話でもないです。

しかし、北条氏直の妻や娘が中国地方に赴いているので、その娘らが父の墓を建てたのか?と考えてみました。
でも、どうしても広島との「接点」が見出せません。
北条氏直の正室だった督姫(徳川家康の娘)は、その後、池田輝政に再嫁し、池田輝政は姫路城主となった訳ですが、広島城福島正則ですので、やはり関係が見つかりません。
なお、北条氏直(北條氏直)には男子は無く、2人の娘がいました。
長女は摩尼珠院殿ですが早世しています。
次女・宝珠院殿は岡山城主(岡山藩主)・池田利隆の許婚となりましたが、1602年に17歳で病死しています。
岡山県と広島県は隣どうしですが、督姫やその娘・宝珠院殿が、わざわざ広島に父の墓を建立したと想像するのには無理がありそうです。

と言う事で、結論としては、なぜ小田原城主・北条氏直の墓が、ここ海蔵寺にあるのか?、よくわかりません。
しかし、早雲寺と海蔵寺、どちらかに遺骨で、どちらかが「遺髪」と言う事も考えられます。

1つ言える事は、小田原にも「海蔵寺」と言う同名のお寺さんがあり、そこには小田原の陣にて病死した、堀秀政の墓がありますが、小田原の海蔵寺、草津の海蔵寺、そして北条氏直の縁と言うのは、単なる偶然なのでしょうか?
なにか、とてつもない大きな「意味」が隠されているようにも感じてしまいます。

東城浅野家一族の五輪墓

広島藩の家老・東城浅野家歴代の立派な五輪墓も海蔵寺にあります。
1619年に福島正則が改易された後、浅野長政の次男・浅野長晟が42万石で広島城主となっています。
そののち、明智光秀の家臣・堀田孫左衛門が、浅野家に仕えると浅野姓を与えられて浅野高勝と称しており、浅野家の家老となって備後・東城1万石を与えられました。
その東城浅野家は、たたら製鉄などの産業も育成し、東城にて幕末まで続き、海蔵寺を菩提寺にしていたのです。

海蔵寺へのアクセス

海蔵寺への行き方ですが、クルマの場合は下記の地図ポイント地点が駐車場となります。
北側から山を越えて行く感じです。
バイパスもあり道が大変分かりにくいですので、カーナビで設定して訪れると良いでしょう。

他には南側にある草津駅近くの慈光寺近くに100円パーキングもあります。
私は今回、南側に車を止めて、歩きで踏切を渡り入りました。
海蔵寺の観光所要時間は約15分となります。

山中鹿之助 (山中鹿助、山中幸盛)~尼子家再興に忠義を尽くした名将
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